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2012年01月28日

独学院 未遂犯総説から

すでに1月下旬です。
参りましょう。

<未遂犯総説>

 未遂犯とは、「犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった」者をいう。
 刑法の各犯罪類型は、通常は、既遂犯の処罰を原則としている。しかし、犯罪が既遂に至らない段階でも、その行為の危険性が著しいものについては、処罰する必要性がある。それが「未遂犯」である。

 ただ、あらゆる犯罪について未遂犯が処罰されるわけではない。刑法44条は、「未遂を罰する場合は、各本条で定める。」と規定している。
 この規定は、未遂犯の処罰は例外的であって、特に未遂犯を処罰する旨の規定がある場合だけに処罰されることを示す。「例外的」と言いつつも、数は多い。
 例えば、刑法243条は、「第二百三十五条から第二百三十六条まで及び第二百三十八条から第二百四十一条までの犯罪の未遂は、罰する。」と定めている。

 未遂犯が処罰されるのは特別の規定が定められているときだけである。
 既遂犯の構成要件を「基本的構成要件」というのに対し、未遂犯や共犯のそれを「修正された構成要件」などという。

<予備・陰謀>

 ある犯罪を実行しようとして準備することを、「予備」という。
 2人以上の者がある犯罪を実行しようとしてその陰謀を行うことを、「陰謀」という。

 犯罪は、それが現実に至るまでには、@犯罪の計画「予備・陰謀」→A実行に着手[未遂の段階]→B結果発生[既遂]の過程をたどる。
 未遂に至る前の段階の@予備・陰謀の段階にとどまる場合には、通常は処罰されない。しかし、例外的に処罰される場合もある。

 予備。陰謀が処罰されるのは、特別な規定のある場合だけである。刑法では、特に重大な犯罪に限って「予備」「陰謀」が処罰される。

・刑法上の予備罪は、次の9つである。

 内乱予備罪[78条]、外患予備罪[88条]、私戦予備罪[93条]、放火予備罪[113条]、通貨偽造準備罪[153条]、支払用カード電磁記録不正作出準備罪[163条の4]、殺人予備罪[201条]、身代金目的略取等予備罪[228条の3]、強盗予備罪[237条]

・刑法上の陰謀罪は、次の3つである。

 内乱陰謀罪[78条]、外患陰謀罪[88条]、私戦陰謀罪[93条]


<未遂犯の構成要件>

 未遂犯も、既遂犯と同様、「構成要件該当性→違法性→責任」の犯罪成立要件を充たす必要ある。未遂犯の構成要件はどのように考えればよいのか。
 刑法43条は、「犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。」と定めている。未遂犯の構成要件は、既遂犯の構成要件を刑法43条の規定に従って修正したものである。
 例えば、窃盗未遂罪の構成要件は、「他人の財物の占有を侵害する行為の実行に着手してこてを遂げなかった者」となる。

<障害未遂と中止未遂>

 未遂犯は、「遂げなかった」理由により、中止未遂「同条ただし書き」と傷害未遂とに分けられる。すなわち、中止未遂[中止犯]とは、「自己の意思により犯罪を中止した」場合をいい、傷害未遂とは、それ以外で未遂に終わった場合をいう。
 「未遂」という場合、狭義では傷害未遂をいい、広義では、傷害未遂と中止未遂を合わせたものをいう。

 傷害未遂の場合には、刑を減軽することが「できる」[同条本文]。すなわち、刑を減軽してもしなくともよく、裁判所の判断に委ねられる。これを「刑の任意的減軽事由である」という。
 これに対して、中止未遂の場合には、必ず刑を減軽又は免除「しなければならない」[同条ただし書き]。これを、中止未遂は「刑の必要的減免事由である」という。

ポイント

 傷害未遂→刑の減軽は任意的
 中止未遂→刑の減軽は必要的

<実行の着手1>

 未遂犯は、「犯罪の実行に着手」して、これを遂げなかった場合に成立する[43条]。
 実行の着手とは、実行行為を開始することをいう。実行の着手がなければ「予備・陰謀」にとどまるが、実行の着手があれば「未遂」となる。予備・陰謀は原則として処罰されず、例外的に処罰される場合は少ないから、「実行の着手」があるかないかは、重要な問題となる。
 どのような場合に実行の着手が認められるのかについては、学説上の争いがある。この問題は、未遂犯はなぜ処罰されるのか[未遂犯の処罰根拠]という問題と関わる。これについては、「客観的主義→実質的客観説」の流れで記憶しておけばよい。

≪未遂犯の処罰根拠≫

・主観主義・・・行為者の犯罪的意思の危険性に着目する。未遂犯が処罰されるのは、行為者の「危険な意思ないし性格」が外部に表れるからだと説明する。

・客観主義[通説]・・・行為者の客観的行為の危険性に着目する。未遂犯が処罰されるのは、行為者の行為に、法益侵害を発生させる客観的危険性が認められるからだと説明する。

※ただし、行為の客観的危険性を判断するための材料として、行為者の意思などの主観を考慮するのは許されると解されている。

≪実行の着手の意義≫

 未遂犯の処罰根拠についての主観主義と客観主義の対立に対応して、主観説と客観説が対立する。客観説は、更に、形式的客観説と実質的客観説に分かれる。

・主観説・・・実行の着手は、「行為者の犯意の飛躍的表動があるとき」に認められる。

・形式的客観説・・・実行の着手は、「構成要件に該当する行為、あるいは、それに密接する行為を開始したとき」に認められる。

・実質的客観説・・・実行の着手は、「行為者が結果発生の具体的危険性のある行為を開始したとき」に認められる。


<実行の着手時期の具体例〜殺人>

 人の生命に対する現実的危険性のある行為を開始した時点で、「実行の着手」が認められる。
 例えば、「Bが金槌でAを打撲する行為」が「人の生命に対する現実的危険性のある行為」にあたり、「BがAの頭部を強打すべく金槌を振り下ろした時点」で現実的危険性のある行為を開始したとして実行の着手があったと認められる。

※ 「金槌がAの頭部の一部に接触した時点」ではない。これでは遅すぎる。「人の頭に向かって金槌を振り下ろす行為」自体に人の生命に対する現実的危険性が認められるので、それを開始した時点で実行の着手を認めるべきだと解されている。

<Aに深い恨みをもつBが、ある日の夜中、人里離れた山中で、頭にろうそくを立て手に五寸釘を持ち、大木に向かって「Aよ、死ね!」と叫びながら、Aのわら人形を打ちつけていたところ、偶然通りかかったAがそれを見て尋常ではないBの様子に驚き、その場に卒倒した。卒倒しているAに気付いたBは、それを奇貨として、持っていた金槌でAの頭部を数回強打して、Aを死に至らしめた。

 実行の着手は、「BがAの頭部を強打すべく金槌を振り下ろした時点」で認められる。人の頭部を強打すべく金槌を振り下ろす行為は、人の生命に対する現実的危険性が認められるからである。

 「Bが山の中に踏み入った時点」「Bがわら人形に五寸釘を打ち込み呪文を唱え始めた時点」「Bが卒倒しているAに気づいてAに向かって一歩踏み出した時点」では、未だ結果発生の現実的危険性が生じたとは認められないから、「実行の着手」は認められない。
 「Bの振り下ろした金槌がAの頭部の一部に接触した時点」では、遅すぎる。被害者の頭部に接触しなくとも、人の生命に対する現実的危険性は十分に発生していると認められる。

<実行の着手時期の具体例〜窃盗>

 財物に対する他人の占有を侵害する行為ないしそれに密接に関連する行為を開始した時点。いつの時点で侵害行為が開始されたかは、行為の場所・状況や、財物の性質・形状などをもとに具体的に判断される。

[1] 住居侵入窃盗の場合

 判例は、他人の財物に対する事実上の支配を犯すについて密接な行為をした場合には、実行の着手が認められるとし、具体的には「金品物色のために箪笥に近づいた時点」に実行の着手が認められるとした。

※ 単に他人の住居に侵入するだけでは、「窃盗罪」の実行の着手は認められない[もちろん、住居侵入罪は既遂となる。]。

※ 土蔵の中の財物を窃盗しようとする場合には、「土蔵に侵入しようとした時点」で実行の着手が認められると解されている。
  学説によると、土蔵侵入窃盗の場合に住居侵入窃盗よりも早い時点で実行の着手が認められたのは、通常、土蔵は人の監視の目が少ないし、かつ、そこに侵入しさえすれば、直ちに財物の占有を奪うことができるからだと説明されている。

[2] すりの場合

 「他人のズボンのポケットにある財布を狙って、そのポケットの外側に手を触れた時点」に、実行の着手が認められる。

※ ただし、ポケット内に財布があるかないかを確かめる行為[いわゆる「当たり行為」であれば、実行の着手は認められないと解されている。]

<実行の着手時期の具体例〜強盗>

 強盗罪では、相手方の犯行を抑圧するに足りる程度の「暴行・脅迫」を行った時点で、実行の着手が認められる。

<間接正犯の実行の着手時期>

 「利用行為=実行行為」と解する見解によると、利用行為を開始した時点で「実行の着手」が認められる。

<着手未遂と実行未遂>

 43条本文は、犯罪の実行に着手して、これを「遂げなかった」、すなわち、犯罪の完成に至らなかった場合に未遂を認めている。この点で、未遂犯は、完成に至った犯罪である既遂犯と区別される。
 「遂げなかった」場合については、「着手未遂」と「実行未遂」という2つの形態がある。
 「着手未遂」とは、行為者の着手した実行行為が終了しなかった場合をいい、「実行未遂」とは、実行行為は終了したが、予期した構成要件的結果を生ずるに至らなかった場合をいう。
 例えば、人を殺す意思でライフル銃を向けたが引き金を引かなかった場合が、着手未遂であり、引き金を引いて弾丸がそれた場合が実行未遂である。

つづく・・・
タグ:刑法
posted by 94条2項の類推適用されずじまい at 13:50| Comment(0) | 刑法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月27日

独学院 責任要素としての故意

おはっす、参りましょう。

<責任要素としての故意>

 行為者の殺人行為について構成要件該当性及び違法性が認められるとしても、「責任要素としての故意」[「責任故意」]という。]が欠けるために責任が阻却され、犯罪が成立しないという場合が考えられる。

 責任故意が認められるための要件は、「違法性を基礎づける事実についての認識があること」[=違法性阻却事由に当たる事実の認識がないこと]である※。

 例えば、AがBを殺害したとする。Aには、「Bを殺すこと」の表象・認容があれば、「構成要件的故意」は認められる。しかし、Bが目の前でバットを振り上げたため、自分に殴りかかって来るものと誤信し、自らの身を守るために、とっさにBをけり殺したのだとすると、「責任故意」は阻却される。

 この場合、Aは正当防衛の要件である「急迫不正の侵害」が存在すると誤信しており、この点に錯誤が認められる。Aは自らの行為が正当防衛にあたると誤信して行為に出ている以上、適法な行為にでることを期待することができず、規範に反する人格態度が認められないので、Aに故意責任を問うことができないのである。

※ さらに、「違法性の意識があること」も、責任故意の要件となるかについては、争いがある[後述]。


<違法性の意識>

 行為者が、みずからの行為が法律上許されないことを意識していることを、「違法性の意識」という。そして、「違法性の意識」が欠ける状態、すなわち、「行為者が自らの行為が法律上許されないにも関わらず、許されると誤信していた場合」を、「違法性の錯誤」ないし「法律の錯誤」という。
 行為者に違法性の錯誤があるとき、責任故意が阻却されるか[=違法性の意識が責任故意の要件か]については、争いがある。

≪違法性の意識不要説[最判S32.10.18]≫

・違法性の意識は、責任故意の要件ではない。
・刑法38条3項は、「違法性の意識は故意の要件でない。したがって、違法性の意識が欠けるとしても故意は阻却されない。ただし、違法性の意識を欠いたことに宥恕(ゆうじょ)すべき事由がある場合には、その刑を減軽することができる」旨を定めたものである。

[批判]

・国民はみな法律を知っているべきだというのでは、国家主義的である。
・行為者が違法性の意識を有することが困難な事情のあったときにも罪責を負わなければならないというのでは、「責任主義」に反する。

<違法性の意識〜学説>

 違法性の意識が責任故意の要件については、争いがある。

≪違法性の意識必要説≫←「厳格故意説」ともいう。

・違法性の意識は、責任故意の要件である。
・刑法38条3項は、「条文を知らなかったとしても※、故意は阻却されない。ただし、条文のあてはめを誤ったが違法性の意識は存在する場合のうちで特に宥恕すべき事由がある場合には、その刑を軽減することができる」旨を定めた規定である。

※ 例えば、判例は、刑法38条3項について、「違法性の意識は故意の要件ではない。したがって、違法性の意識が欠けるとしても故意は阻却されない。ただし、・・・」と解する。
 しかし、違法性の意識必要説(厳格故意説)は、違法性の意識がない場合には故意が阻却されると解する見解なので、38条3項を「違法性の意識が欠けるとしても故意は阻却されない。・・・」と解することができるない。そこで、「条文をしらなかったとしても・・・」と解する。

[批判]

・違法性の意識を必要と解すると、「常習犯人」[違法なことを繰り返して行ううちに、違法だという意識が薄れていく]や「確信犯人」[違法なことでも正しいと信じて実行する」を処罰することが困難になる。
・刑法39条3項の解釈に無理がある。条文を知らなかったとしても故意が阻却されないのは当然のことである。

≪可能性説≫←制限故意説ともいう。

・違法性の意識は責任故意の要件ではないが、「違法性の意識の可能性」は、責任故意の要件である。
・刑法38条3項は、「条文を知らなくとも、故意は否定されない。ただし、違法性の意識の可能性があってもそれを意識するのが困難であるために違法性の意識を欠いた場合には責任が軽いから刑を減軽する。」旨を定めた規定である。


<責任要素としての過失>

 過失犯においても、「構成要件的過失」が認められるだけでなく、「責任過失」も認められる必要がある。
 構成要件的過失の有無が「一般人の注意能力」を基準として判断されるのに対し、責任過失の有無は「行為者自身の具体的能力」を基準として判断される。
 つまり、「一般人を基準として導かれた○○の注意義務に反して構成要件的過失の認められる場合であっても、行為者個人の能力を基準として導かれた△△の注意義務に違反しない場合には、責任過失は阻却される」のである。

 責任要素としての故意[責任故意]が欠けるとして責任が阻却される場合であるからといって、直ちに無罪となるというわけではない。「責任過失」が認められる場合には、過失犯が成立する。

<期待可能性>

 行為者に「責任能力」「故意・過失」が認められる場合であっても、適法行為の「期待可能性」が認められる場合でなければ、責任が阻却されると解されている。

 期待可能性とは、行為者が行為を行った際の具体的事情の下で、行為者に犯罪行為を行わずに適法な行為をすることができたであろうと期待できることをいう。

 期待可能性の理論は、ドイツの「あばれ馬事件」を契機に主張されるようになった。わが国も、(t:第5柏島丸事件判決:1808daigo)がある。

<あばれ馬事件>1897年のドイツ

 卸者が雇主の命令でやむなくあばれ癖のある馬を卸したところ、その馬が暴れて通行人に怪我をさせてしまった。裁判所は、卸者が職を失ってまで雇主の命令に逆らうことは期待できないとして、卸者を無罪とした。

<第五柏島丸事件判決(大判S8.11.21)

 船主の命令でやむなく定員よりも多い人数の客を乗船させていた船長が、船を転覆させてしまった。裁判所は、船長を無罪とはしなかったものの、禁固6月に処した原判決を破棄して、罰金300円を言い渡した。
 この判決は、船長には事故を起こさないようにすることについての期待可能性がゼロではなかったものの、その程度が低くなっていたから責任が減少しているものとみて、刑を軽減したものと捉えられている。

 期待可能性は、「超法規的責任阻却事由」と解されている[多数説]。

※ 期待可能性の体系的地位については、争いがある。責任能力、故意・過失と並ぶ第3の責任要素と解する説や、故意・過失の構成要素と解する説がある。

つづく・・・


 
タグ:刑法
posted by 94条2項の類推適用されずじまい at 11:40| Comment(0) | 刑法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月26日

独学院 責任から

寒過ぎ、参りましょう。

<責任>

 「責任」とは、構成要件に該当する違法な行為をしたことについて、行為者を非難することができることをいう。

 ある行為が構成要件に該当し、かつ、その行為について違法性阻却されないとしても、それだけではまだ犯罪は成立しない。犯罪が成立するためには、さらに、行為者に「責任」[「有責性」の要件という。]が認められなければならない。すでに述べたとおり、近代刑法においては、「責任主義」の原則がとられている。違法な行為をした行為者であっても、その者に責任が欠ければ、犯罪は成立しないのである。

 「責任」の段階では、行為者において、@責任能力、A責任故意・責任過失、B適法行為に対する期待可能性の有無が検討される。

<責任の本質>

 責任の本質をどのように捉えるかについては、学説の争いがある。

[1] まず、道義的責任論と社会的責任論の対立がある。

・道義的責任論・・・行為者には自由意思が存在するから、「違法行為をしない」という途を選択することを期待できたはずである。そうであるにもかかわらず、あえて違法行為に出た点において、刑法上、道義的非難が可能であるという。古典学派のとる考え方。

・社会的責任論・・・社会に対して危険を及ぼす者は、社会を防衛するため、社会から防衛処分としての刑罰を受ける法的地位に立たされるべきである。この法的地位こそが責任であるという。近代学派のとる考え方

[2] かつて、行為責任論と性格責任論が対立したが、その両者を止揚しようとする考え方として、人格責任論が登場した。

・行為責任論・・・責任の基礎を、個々の犯罪行為に向けられた行為者の意思に求める考え方。
          道義的責任論のとる考え方である。

・性格責任論・・・責任の根拠を個々の犯罪行為に示された、犯人の危険な性格に求める考え方。社会的責任論のとる考え方である。犯人の危険な性格が社会防衛の対象となるという。

・人格的責任論・・・責任の基礎を、行為だけでなく、その背後にある行為者の人格にも求める考え方。

・古典学派・・・道義的責任論・・・行為責任論若しくは人格責任論
・近代学派・・・社会的責任論・・・性格責任論


<責任能力>

 責任能力とは、行為者が刑事責任を負担するために必要とされる能力をいう。
 刑法は、責任能力者の要件を積極的に定めているわけではなく、責任無能力者及び限定責任能力者となるのはどのような者かについて規定している。それらに「当たらないもの」が完全な責任能力者であると解されている。

 39条1項は「精神喪失者の行為は、罰しない。」と定め、39条2項は「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」と定める。
 1項は、心神喪失者は責任能力に欠けるから[=責任無能力]、その行為について犯罪が成立せず、刑罰を科されないという趣旨である。
 2項は、心神耗弱者は責任能力が全く無いわけではないものの、それが著しく「減退」しているから、その刑を減軽するという趣旨である。

 「心神喪失者」の意義について、判例は、精神の障害により事物の理非善悪を弁識する能力がなく、又はこの弁識にしたがって行動する能力のない状態にある者をいうとする。つまり、責任能力とは、「是非弁別能力」と「行動制御能力」からなるものであって、心神喪失者とは、この2つの能力のうちのいずれかの無い状態の者をいうとする。
 「心神耗弱者」の意義について、判例は、上記の2つの能力が欠如する状態には達していないものの、その能力が「著しく減退した状態」にある者をいうとする。

 責任能力は、「実行行為のときに」存在しなければならない。これを、「行為と責任の同時存在の原則」という。これに対し、実行行為の原因となる行為[「原因行為」]の時点で存在すればよいとする見解もある。


<刑事未成年者>

 刑法41条は、「十四歳に満たない者の行為は、罰しない。」と定める。

 この「十四歳に満たない者」を、「刑事未成年者」という。幼少の者は、その精神状態が未発達であるがゆえに、その者は刑事責任能力を持たない。ただし、精神状態の発達の程度については個人差があるから、各人ごとにその責任能力の有無を判定しなければならないというのでは、わずらわしいことになる。そのため、刑法は、14歳を「刑事責任年齢」と定め、その年齢に満たない者は、一律に責任無能力者だとした。

 
<原因において自由な行為1>

 例えば、泥酔状態などの責任無能力状態で、構成要件に該当する行為をしたとしても、責任能力に欠けるため、犯罪は成立しない。
 それでは、次のような事例はどうか。

≪事例1≫

@ 泥酔状態になると他人に暴力を振るう性癖のあるAが、みずからのその性癖を知りつつ、みずからの責任無能力状態を利用してBを殺害する意図で深酒をした。
A Aはその意図どおりに泥酔状態に陥り、Bに暴行を加えて殺害した。

 このように、飲酒や薬物を服用するなどして、みずからを責任無能力状態に陥らせ、その状態で構成要件該当事実を発生させる場合を、「原因において自由な行為」という。
 Aが実際に暴行を行ったAの時点の時点では、Aは泥酔状態にあり、責任能力を欠いている。「行為と責任の同時存在の原則」からすると、犯罪は成立しないとも思える。
 しかし、このAのように、ことさらに自己を責任無能力状態に陥らせてBを殺害した者に、何ら犯罪が成立しないというのでは、妥当ではない。
 そこで、≪事例1≫のAのような者をを処罰するための理論として、「原因において自由な行為」の理論が登場した。

※@のように、自己を責任無能力に陥れる行為を、「原因行為」という。
※Aのように、責任無能力状態で行う構成要件該当行為を、「結果行為」という。

<原因において自由な行為2>

 原因において自由な行為の可罰性を基礎づけるための理論構成をいかに解するべきかについては、争いがある。[ア]何を「実行行為」と捉えるか、「イ」行為と責任の同時存在の原則との関係をいかに解するのかがポイントである。

≪A説 間接正犯と類似した考え方に基づき、責任無能力状態にある自己を道具として利用した犯罪を実行したものとして、その可罰性を認める見解≫

 責任無能力状態に自己を、いわば「道具として利用して犯罪を実現している」点で、他人を道具として利用して犯罪を実現する間接正犯を同様に考える。

[ア] 事例1では、@の「原因行為」[=酒を飲む行為]を[実行行為]と捉える。
[イ] @の原因行為の時点では、Aに責任能力が認められるのだから、Aに完全な責任を問うても、「行為と責任の同時存在の原則」には反しない。

[批判]

 責任無能力状態を利用して人を殺そうとして酒を飲み、飲み過ぎて途中に眠り込んでしまい、何もしなかった場合[事例2]までに殺人未遂罪が成立してしまう。

※ 間接正犯類似説に立ちながらも、「実行行為の定型性」を要求し、事例2の場合に殺人未遂罪の成立を否定する見解もある。

 構成要件的結果を発生させる一般危険を有しない行為は、「実行行為の定型性」がないから実行行為に当たらないと説明される。
 「肩をそっとなでる行為」とか「指一本でそっとつつく行為」などは、たとえ人を殺すつもりで行ったとしても、「実行行為としての定型性」がないから、実行行為に当たらないと言える。この見解は、飲酒行為にもこれらと同様に考えるのである。


<原因行為において自由な行為3>

≪B説 原因行為から結果行為までの一連の過程を1つの意思決定に貫かれた1つの行為とみて、その意思決定が責任能力のある状態でなされた場合には、行為者はその行為全体について責任能力あるものとして、その可罰性を肯定する見解≫

[ア] 事例1では、Aの結果行為[=暴行行為]を実行行為と捉える。
[イ] 責任能力が認められる状態で、自由な意思決定[=Bを殺す]にもとづいて「原因行為」[=酒を飲む行為]が行われ、その[原因行為」にもとづいて「結果行為」が行われている場合には、「結果行為」は「原因行為」時の意思決定の実現過程にすぎないと言える。そうだとすると、結果行為時に責任能力が無いのに処罰しうるとしても、「行為と責任の同時存在の原則」には違反しない。

つづく・・・
 
タグ:刑法
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2012年01月25日

独学院 緊急避難から

ささ、参りましょう。

<緊急避難>

 緊急避難とは、「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為」で、「これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合」である[37条1項本文]。

 緊急状態にあるため特に許される行為である点で、正当防衛と類似する。
 しかし、正当防衛が不正の侵害に対する反撃を正当化するという点で「正対不正」の関係にあるのに対し、緊急避難は、現在の危難を避けるために、その危難とは無関係の第三者の法益を正当化する点で「正対正」の関係にあるという点で異なる。

<緊急避難の法的性質>

 刑法37条1項本文では、緊急避難行為について「罰しない」と定めているが、これは違法性が阻却される[違法性阻却事由]という意味だと解するのが通説である。
 しかし、責任が阻却されると解する説[責任阻却事由説]や、場面に応じて違法性阻却事由か責任阻却事由のどちらかになると解するニ分説もある。

≪違法性阻却事由説の根拠≫

・現行法上、「他人」のための緊急避難が認められている。「自己」のための緊急避難であれば、「適法行為に出ることを期待することができないので責任が阻却される」という説明も成り立ちうるが、「他人」のための緊急避難では、そのようには言えない。
・法益の権衡が要件とされている。

≪責任阻却事由説の根拠≫

・緊急避難は第三者の「正」の法益を侵害するものなので「違法」ではある。ただ、危難に直面しているために、他の適法行為をとることを行為者に期待できないので、責任が阻却される。
・ある法益を救うために、別の同等の法益を犠牲にしてもよいという根拠が明らかではない。

<緊急避難の成立要件>

@「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難」
A「避けるため」
B「やむを得ずにした行為」
C「これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合」

<要件@>

 「現在」とは、法益が現に侵害されているか、又は法益侵害の危険が切迫していることをいう。緊急避難の「現在」も、正当防衛の「急迫」と「同じ」意味であると解されている。

 「危難」とは、法益侵害又は侵害の危険がある状態をいう。人の行為によって生じたものに限られない。この点で、正当防衛の「侵害」よりも「広い」とされる。例えば、自然現象、動物によって生じたものも含まれる。

<要件A>

 正当防衛に「防衛の意思」が必要であるのと同じ理由から、緊急避難にも「避難の意思」が必要だと解する必要説がある[防衛の意思必要説は、緊急の意思必要説を採る。]これに対して、不要説もある。

<要件B>

 正当防衛と同じ表現であるが、正当防衛の場合より「厳格に」解されている。これは、正当防衛が「正対不正」の関係にあるのに対し、緊急避難は「正対正」の関係にあるからだと説明される。

 刑法37条1項本文の「やむを得ずにした行為」とは、避難行為が法益保全のための唯一の行為であって、他に採ることのできる方法が無い[これを「補充の原則」という。]という意味である。

<要件C>

 これを、「法益権衡の原則」という。緊急避難は「正対正」の関係にあるため、避難行為によって生じた害が避難行為によって避けようとした害の程度を超えなかった場合に限って、正当化される。

<特別義務者の例外>

 「業務上特別の義務のある者」には、緊急避難の規定は適用されない。
 この「業務上特別の義務のある者」とは、その業務の性質上危険に立ち向かうことが職務の内容とされている者をいう。例えば、警察官や消防職員がこれに当てはまる。

[趣旨]

 警察官が危険に際して一般市民を守るべきときに、緊急避難によって一般市民の利益を犠牲にしてみずからの利益保全することができるというのでは、警察官に特別の義務を課したことが無意味になってしまう。そこで、このような者には、緊急避難の規定が適用されないものとした。
 
 警察官や消防職員には一切緊急避難が認められないというわけではないことに注意。上記の趣旨からは、「特別の義務と無関係な自己の危難」又は「第三者の危難」に対しては、緊急避難も許されると解されている。

<過剰避難>

 過剰避難とは、避難行為が「その程度を超えた場合」である。
 過剰避難に当たると、「情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる」とされている[37条1項ただし書き]。
 過剰避難には、@補充性の要件を充たさない場合とA法益の権衡の要件を充たさない場合がある。
 刑の任意的減免が認められる根拠については、責任減少説、違法減少説などが対立している。

<誤想避難・誤想過剰避難>

 「誤想避難」とは、緊急避難にあたる事実がないのにあると誤信して避難行為を行う場合である。

・緊急避難の成立要件を充たしていないので、違法性は阻却されない。
・責任故意が阻却される。ただし、責任故意が阻却されて故意犯が成立しない場合であっても、行為者に過失が認められるときは、過失犯が成立する。誤想防衛と同じ扱いである。

 誤想過剰避難とは、現在の危難があると誤信して過剰な避難行為を行う場合である。

 行為者に「@過剰性の認識の『ある』場合」と「A過剰性の認識の『ない』場合」で分けて考える。

@過剰性の認識の「ある」場合→故意犯「成立」。ただし、37条2項準用[刑の減軽・免除]の余地あり。

A過剰性の認識の「ない」場合→故意犯「不成立」。ただし、過失犯成立の余地あり。
  誤想過剰防衛と同じ扱いである。

つづく・・・



 
タグ:刑法
posted by 94条2項の類推適用されずじまい at 16:02| Comment(0) | 刑法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月23日

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posted by 94条2項の類推適用されずじまい at 15:37| Comment(0) | コーヒーブレイク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

独学院 正当防衛から

おはっす、参りましょう。

<正当防衛>

 正当防衛とは、「急迫の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為」という[36条]。
 正当防衛は、「不正」の侵害に対してなされる行為である[「正」対「不正」]。緊急避難が何ら不正のない第三者に対してなされる行為である[「正」対「正」]のと異なる。

 正当防衛の成立要件には、次のようなものがある。

@ 防衛行為が「急迫不正の侵害に対して」なされたものであること

 「急迫」「不正の侵害」とは何を意味するのかが問題となる。

A 防衛行為が「自己又は他人の権利を防衛するため」になされたものであること。

 正当防衛の要件として、「防衛の意思」が必要かについては、争いがある。

B 防衛行為が「やむを得ずにした行為」であること

 社会観念に照らして、防衛行為としての必要性・相当性が認められることを意味する。

<「急迫」性の要件>

 正当防衛が成立するためには、防衛行為が「急迫不正の侵害に対して」なされたものであることを要する。

 「急迫」とは、侵害が現に存在するか、又は切迫していることをいう。

・「過去の侵害に対する正当防衛は、認められない。例えば、バッグを盗まれたAが後日そのバッグを持ったBから実力で取戻す行為は、正当防衛とはならない[ただし、自救行為とはなりうる。]。

・「将来の侵害」に対する正当防衛も、認められない。

 例えば、AとBが「明日この家に忍び込んで、強盗しよう」と話しかけてきた。たまたまAとBの会話を聞いたその家の主人Cが、「直ちに」AとBを殴りつけたとしても、「急迫」性の要件を充たさないので、正当防衛は成立しない。

 ただし、将来の侵害を予想して、あらかじめ「防衛の準備行為」をしておく場合で、その後の「現に急迫不正の侵害がなされた時点」において「防衛効果が発現」するときには、正当防衛と解することができるとされる。

 例えば、塀を乗り越えて屋敷内に不法に侵入してくる者を防ぐ目的で、高圧電線を仕込んでおく行為は、それによって侵入者がその身体に傷を負ったとしても、正当防衛にあたりうる。

※ 予期された侵害を積極的に利用して加害する場合

 判例は、正当防衛の要件である「侵害の急迫性」について、当然又はほとんど確実に侵害が予期されたとしても、直ちに侵害の急迫性が失われるわけではないとしながらも、単に予期された侵害を避けなかったというにとどまらず、その機械を利用して積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは、侵害の急迫性の要件を充たさないとしている。

<「不正の侵害」の要件>

[1] 「不正」とは、違法であるという意味である。

・刑法上の違憲だけでなく、私法上、行政法上の違法であってもよく、また、可罰的違法性のない程度の刑法上の違法でもよいと解されている。

・「不正の侵害」に対する正当防衛は許されるが、その反対に「適法な侵害」に対する正当防衛は許されない。

 例えば、他人の正当防衛行為に対する正当防衛は、認められない。

・侵害行為が「違法」でありさえすればよく、侵害者が「有責」であることは要しないとされる。つまり、12歳の少年がナイフで襲いかかってきたとき、その少年自身は「刑事未成年者」*であるために罪責を負わないが、それに対する正当防衛は成立しうる。

* 刑法41条は、「十四歳に満たない者の行為は、罰しない。」と定める。この「十四歳に満たない者」を、「刑事未成年者」という。
 
 幼少の者は、その精神状態が未発達でるがゆえに、その者の刑事責任能力をもたない。ただ、精神状態の発達の過程については個人差があるから、各人ごとにその責任能力の有無を判定しなければならないというでは、わずらわしいことになる。そのため、刑法は、14歳を「刑事責任年齢」と定め、その年齢に満たない者は、一律に責任無能力者だとした。

[2] 「侵害」とは、他人の権利に対して実害を与えること、又は、実害発生の危険を与えることをいう。この「侵害」には、他人の「動物」による侵害も含まれるかについては、争いがある。


<自招の侵害・けんかと正当防衛>

■ 侵害を受ける者が自ら招いた侵害[=自招侵害]に対して、正当防衛の成立が認められるか。

 この点については、学説が分かれている。@正当防衛権の濫用になる場合でない限り正当防衛の成立が認められるとする見解、A社会的相当性を欠く場合には、正当防衛の成立は認められないとする見解、B原因において違法な行為には正当防衛は成立しないとする見解等がある。

■ けんかの場合に正当防衛の成立が認められるか。

 けんかには、攻撃者と防御者が何度も入れ替わり、互いの攻撃・防御が繰り返されるという特徴がある。よって、ある瞬間において当事者の一方が防御に終始し、正当防衛の様相が認められても、けんかの全体を通じてみれば正当防衛の観念を入れる余地がない場合がある。

 判例は、けんかにおける正当防衛の成否の判断について、当該けんかの行為を全般的に観察することを要し、けんかの中の瞬間的な攻防の態様によって判断してはならないが、けんかにおいてもなお正当防衛が成立する場合がありえるとした。

 例えば、「最初は互いに素手で殴り合ったが、突然、Bが上着のポケットからナイフを取り出して切りつけてきたので、Aは、ナイフを避けながら、Bの顔面をこぶしで殴りつけた」という場合には、けんかの過程で、それまでの同等の立場における攻撃防御が明らかに断絶したと見ることができるので、正当防衛の成立を認めることができる。


<対物防衛〜問題の所在>

 他人の動物による侵害にも対する正当防衛が成立するか。
 →他人の動物による侵害も、不正の「侵害」に含まれるのか。

[1] 野生動物は法律上「無主物」であるから、襲いかかってきた野生動物を殺しても、刑法上の問題とならない[そもそも、「構成要件」に該当しない。]。

[2] Bの飼い犬がAに対して突然襲いかかってきたので、Aが自らの身を守るためにその動物を殺したとすると、その行為は、Bに対する動物傷害罪[261条]の構成要件に該当する。次の@Aの場合に分けて考える必要がある。

@ Bの飼い犬による襲撃がその飼主Bの「故意・過失」に「もとづく」場合

 犬による襲撃は、「飼主Bによる侵害行為」と捉えることができる。このような「人」による侵害が「不正の侵害」にあたりうることについて、争いはない。
 例えば、「飼主Bがその飼い犬をAにけしかけたので襲いかかってきたとき」[飼主Bの故意による侵害]や、「飼主Bの不注意で鎖から離れた犬が襲いかかってきたとき」[飼主Bの過失による侵害]である。

A Bの飼い犬による襲撃がその飼主Bの「故意・過失」に「もとづかない」場合

 この場合には、「飼主Bによる侵害行為」と捉えることができず、「飼い犬による侵害」と捉えざるを得ない。このような「動物」による侵害も「不正の侵害」にあたるかについては、争いがある。


<対物防衛〜学説の対立>

 動物による侵害も「不正の侵害」にあたるのか。

<対物防衛否定説>

 動物による侵害は「不正の侵害」にあたらない。「不正の侵害」とは、「人」の行為に限られる。

・「不正」=違法であって、違法とは「人」の行為に対する評価であるから、「不正」という評価も人の行為に対してのみなしうるものである。
・動物による侵害に対しては、「緊急非難」が成立しうるにとどまる。

<対物防衛肯定説>

 動物による侵害も「不正の侵害」にあたる。「不正の侵害」には、人の行為によらない侵害も含まれる。

・侵害を受ける者の側からみると、その侵害が「人」によるものか、あるいは「動物」によるものかによって、防衛行為としてすることができる行為の程度が異なるのはおかしい。
・動物による侵害も、被害者にとっては「違法状態」である。


<防衛の意思の要否>

 防衛行為は、「防衛の意思」でなされたものでなければならないか。

 例えば、Xが、かねてから恨みを抱いていたYをピストルで撃って射殺したとする。ところが、実は、YもXを殺害するつもりでピストルでXを狙っていた。XがYを殺害した行為は、偶然、みずからを守る結果となった[「偶然防衛」]の事例]。
→Xの行為は、外形的には防衛行為にあたるように見えるが、Xには「防衛の意思」がない。

 判例は、防衛の意思を正当防衛の要件とし、防衛の意思のない場合には正当防衛は成立しないとする。

 通説も必要説をとる。偶然防衛のような場合に処罰できないのは妥当ではないと考えるからである。例えば、上記のXは、犯罪的意図をもって攻撃行為をし、その予想通りに結果を発生させたのに正当防衛が認められることになるが、それでは法が不正な者を保護することになってしましい、妥当ではないというのである。

 通説は、刑法36条の「防衛するため」とは、防衛行為が客観的に急迫不正の侵害に対して向けられていることだけでなく、「防衛の意思」にもとづかなければならないことを意味すると解している。


<防衛の意思の内容>

 判例は、防衛の意思を必要とする立場をとる。ただ、その内容は緩やかに解されている。

 相手方の加害行為に対し「憤激又は逆上して反撃」を加えたからといって、直ちに防衛の意思が欠けると解すべきではない。

 →防衛の意思必要説をとる学説は、防衛の意思の内容としては、その行為を専ら防衛の動機・目的のためにしたという「意図・目的」までは必要がなく、「認識」で足りると解している[「認識説」という。]。この見解によると、防衛の意思とは、急迫不正の侵害を認識しつつ、これを避けようとする単純な心理状態で足りるとされる。
 認識説に立つを、憤激・逆上していても、みずからが防衛行為に出るとの認識が有りさえすれば、防衛の意思があると認められることになる。本判例は、この認識説と同じ結論をとるものである。

≪最判S50.11.28≫

 「急迫不正の侵害に対し自己又は他人の権利を防衛するためにした行為と認められる限り、この行為は、同時に侵害者に対する『攻撃的な意思』に出たものであっても、正当防衛のためにした行為にあたると判断するのが、相当である。」
 「『防衛に名を借りて侵害者に対し積極的に攻撃を加える行為』は、防衛の意思を欠く結果、正当防衛のための行為と認めることはできないが、『防衛の意思と攻撃の意思とが併存している場合』の行為は、防衛の意思を欠くものではないので、これを正当防衛のための行為と評価することができるからである。」

 →攻撃的意思が併存していても可。ただし、「積極的に攻撃を加える行為」は不可。


≪積極的加害意思のある場合≫

  判例は、正当防衛の要件である「侵害の急迫性」について、当然又はほとんど確実に侵害が予期されたとしても、直ちに侵害の急迫性が失われるわけではないとしながらも、単に予期された侵害を避けなかったというにとどまらず、その機会を利用して積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは、侵害の急迫性の要件を充たさないとしている。

※ この判例に対しては、積極的加害意思のある場合には、侵害の急迫性が失われるから正当防衛が成立しないとするのではなく、防衛の意思が認められないので正当防衛が成立しないと解すべきだとする批判がある。

<出題例>

 Aは、普段から仲の悪いBと殴り合いのけんかになったが、Bは、「金属バットを持ってくるから、そこで待ってろ」と言って、いったんその場を立ち去った。Aは、BがAを攻撃するため、金属バットを持って再びその場にやって来ることを予期し、この際、Bをいためつけてやろうと考え、鉄パイプを準備して待っていた。すると、案の定、Bが金属バットを持って戻ってきて、Aに殴りかかってきたので、Aは、Bを鉄パイプで殴りつけた。この場合、侵害の急迫性が認められないので、AがBを鉄パイプで殴りつけた行為には、正当防衛は成立しない。

<防衛行為としての必要性・相当性>

 ある行為が正当防衛が成立するための要件として、防衛行為が「やむを得ずにした行為」であることが必要である。「やむを得ずにした」とは、社会観念に照らして、防衛行為としての「必要性・相当性」が認められることを意味する。

・「必要性」とは、「その反撃行為以外に他にとるべき方法のなかったこを」を必要とするものではなく、「侵害行為を排除するために必要な合理的手段の一つであること」と解されている。
・「相当性」とは、@防衛行為によって守ろうとする法益と、防御行為によって侵害される法益とを比べて、後者が前者よりも「均衡を失するほど大きくない」こと[「法益の相対的権衡」という。]、A防衛行為自体の危険性が相当なものであること[「手段の相当性」という。]の2つのことを意味すると解されている。

※ 正当防衛では、法益の権衡が厳密には要求されない。防衛行為によって侵害される法益の方が、防衛行為によって守ろうとする法益よりも大きくとも、正当防衛の成立は必ずしも否定されない。「均衡を失するほど大きくなければよい」とされるのである。この点で、緊急避難において法益の権衡が「厳格に要求」されるのと異なる。
 これは、緊急避難が「正対正」の関係であるのに対し、正当防衛は「正対不正」の関係にあるから、正当防衛の場合にはその要件も「緩和」されるのだと説明している。


<正当防衛と緊急避難の限界>

 緊急状態にあるため特に許される行為である点で、正当防衛と類似する。
 しかし、緊急避難は、現在の危難を避けるために、その危難とは無関係の第三者の法益を侵害する行為を正当化するという点で「正対正」の関係にあるのに対し、正当防衛が不正の侵害に対する反撃を正当化するという点で「正対不正」の関係にあるという点で異なる。
 「不正の侵害を行っていない第三者に対する正当防衛」は、許されないのである。

<出題例>

 正当防衛は不正な侵害に対する反撃であるから、「侵害者以外の者」に対する正当防衛はあり得ない。

「事例」 正当防衛は、不正の侵害に対して許されるので、Aから不意にナイフで切りつけられたBが自己の生命身体を守るために手近にあったCの花瓶をAに投げつけた場合、「Bが花瓶をAに投げつけた行為」は、侵害者Aに対する暴行罪「208条」の構成要件に該当すると同時に、第三者Cに対する器物損壊罪[261条]の構成要件にも該当する。
 侵害者Aに対する暴行罪については、「正当防衛」が成立し、違法性が阻却される。これに対し、第三者Cに対する器物損壊罪については、「正当防衛』は成立しない。「緊急避難」の問題となる。「緊急避難」が成立すれば、違法性が阻却されることになる。


<過剰防衛>

 「防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。」[36条2項]
 過剰防衛とは、「防衛の程度を超えた行為」をいい、「防衛の程度を超えた行為」とは、防衛行為が「やむを得ずにした」と認められない場合をいう。
 過剰防衛は、「情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる」とされる。
 このように刑の減軽・免除をすることができるとされる理由は、次のように説明されている[「責任減少説」と呼ばれる考え方である。]。

 過剰防衛は正当防衛の要件を充たさないので、「違法性」は完全には阻却されない。
 しかし、急迫不正の侵害がなされたという「緊急状態下」では、被害者が恐怖・驚愕・興奮・狼狽のあまり冷静な判断を欠いて、過剰な防衛行為に出るということもやむを得ないと考えられるので、「責任」が減少すると考えられる。
 したがって、刑の任意的軽減・免除が認められたのである。 

※ その他に、違法減少説、違法・責任減少説という立場もある。

※ 正当防衛の要件のうち、@急迫不正の侵害の存在、A自己・他人の権利の防衛のためであること[防衛の意思]を欠く場合には、過剰防衛も認められない。

<誤想防衛>

 「誤想防衛」とは、「急迫不正の侵害がないのに、あると誤信して、防衛行為を行った場合」および「急迫不正の侵害に対して、相当な防衛行為であると誤信して、不相当な防衛行為を行った場合」をいう。
 いずれも正当防衛の成立要件を充たさないので、正当防衛は成立せず、「違法性は阻却されない」[超重要]。誤想防衛行為は、あくまでも「違法」なのである。
 このように誤想防衛行為は「違法」ではあるが、行為者の「責任」が阻却されうる。
 →行為者に「違法性を基礎づける事実の錯誤」[「違法性阻却事由の錯誤」ともいう。]があることにより、責任要素としての故意が阻却される。

 ただし、行為者に「故意犯」が成立しないとしても、それとは別に「過失犯」が成立することはあり得る。

 →誤信したことについて行為者に過失が認められる場合には、過失犯が成立する余地があるということ。


<誤想過剰防衛>

 「誤想過剰防衛」とは、急迫不正の侵害があると誤信して過剰な防衛行為を行う場合である。
 この場合も、正当防衛の成立要件を充たさないので、行為の「違法」は阻却されない。
 問題は、行為者の「責任」が阻却されるかである。これについては、次の@Aの場合に分けて考えられている。

@自らの行為が防衛行為として過剰であることを「認識しながら」防衛行為に出た場合[過剰性の認識のある場合]
 
 この場合、行為者は、みずからの行為が過剰であることの認識がある以上、適法な行為に出ることができたと言える。そうであるにもかかわらず、過剰な防衛行為に出ている点で、直接的反規範的人格態度が認められるので、故意責任を負う。

 ただし、この場合の行為者の認識内容は、過剰防衛の場合と同じであるから、刑法37条2項を準用し、刑の任意的減免が認められると解されている。

A 「急迫不正の侵害がある」と誤信し、かつ「自らの行為が過剰な防衛行為ではない」と誤信して、過剰な防衛行為に出た場合[過剰性の認識のない場合]
 この場合は、通常の誤想防衛と同様の扱いになる[故意犯不成立。ただし、過失犯成立の余地あり。]。

つづく・・・
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2012年01月21日

独学院 違法性から

二日酔いです。参りましょう。

<違法性>

 構成要件は違法行為類型であるから、構成要件に該当する行為は、原則として違法性が備わっていると認められる。
 しかし、構成要件に該当する行為であっても、例外的に、違法性阻却事由にあたる場合には、違法性が阻却され、犯罪は成立しない。
 違法性が阻却されるのはどのような場合かが問題となるが、それには違法性の本質をどのように捉えるかが関わる。

※「違法性」の段階で検討されるのは、「違法性阻却事由に該当して例外的に違法性が阻却されないか」である。

<違法性の本質>

 形式的にみると、「違法」であるとは、「法律の規定ないしそこから導き出される法規範に違反すること」をさす。これを、「形式的違法性」という。
 しかし、これでは違法性の内容は何も示されないので、さらに、「実質的違法性」の内容について、明らかにする必要がある。

「実質的違法性の内容」ついては、以下のような学説がある。

・A説 法益侵害説・・・法益侵害又はその危険を起こすこと
・B説 規範違反説・・・社会倫理規範に違反すること
・C説 ニ元説・・・・・・・社会倫理規範に違反する法益侵害を引き起こすこと

※C説は、違法であるためには、あくまで「法益侵害」の存在が前提であると考える。法益侵害が無いかぎりは違法ではないと考え、法益侵害の存在を前提として、その法益侵害が社会倫理規範に違反するものであるときに初めて[実質的違法性]が認められるとする考え方である。

<客観的違法性論と主観的違法性論>

 違法性の本質をめぐっては、客観的違法性論と主観的違法性論の対立もある。

 「客観的違法性論」は、客観的に法規範に違反することを「違法」だと捉える。責任の有無はその行為者の主観的要素をもとに判断しなければならないが、違法性の有無は客観的に判断しなければならないのだという。

 「主観的違法性論」は、違法性の内容の問題の中に責任の問題をも取り込んでおり、両者を混交させていると批判される。そのため、現在では、客観的違法性論が通説となっている。

<可罰的違法性論>

 刑法の「謙抑主義」から、ある行為により法益侵害が生じても、その行為が本当に刑罰に値するものかを慎重に検討しなければならない。法益侵害の程度が軽微であれば、あえて刑法の対象とする必要はないのである。

 そのため、刑法上「違法」であるとは、その行為が処罰されるに値する程度の重さがなければならないと解されている。このように、刑法上処罰するに値する程度の違法性を、「可罰的違法性」という。刑法上処罰するに値する程度の違法性に欠ける行為は可罰的違法性に欠けるとして不可罰とする論理を「可罰的違法性論」という。次の@Aのような事例がある。

@法益侵害の程度がきわめて軽微であるため、構成要件に該当しない場合

<例>ちり紙1枚を盗んだ場合、ちり紙1枚程度では、235条の「財物」にはあたらない。

A法益侵害の程度が@よりも大きく構成要件には該当するが、行為の状況、目的、他の対立する価値等を考慮すると、処罰するほどの違法性は無いと認められる場合

<例>労働争議がエスカレートして、逮捕・監禁罪や威力業務妨害罪の構成要件に該当する行為が行われたとしても、処罰するほどの違法性は無いと認められる。

※判例としては、いわゆる「一厘事件」がある。

≪一厘事件(大判M43.10.11)≫

 Aは政府から煙草の栽培を委託されていたが、出来上がった煙草の葉のうち一枚だけを納入しなかった(当事の金額にして、1厘相当)ため、煙草専売法違反罪の成否が問題とされた。

 大審院は、滞納した葉煙草が零細のものであるとことを理由として、被告の所為は罪を構成しないとした。

<主観的違法要素>

 「主観的違法要素」とは、行為者の主観で、行為の違法性に影響を与える要素をいう。
 例えば、目的犯における「目的」や、傾向犯における「内心的傾向」がある。

 犯罪の中には、一定の目的を有することが犯罪の成立要件となっているものがある。これを「目的犯」という。
 例えば、通貨偽造罪や文書偽造罪・・・「行使の目的」
 傾向犯とは、行為者の内心的傾向が行為の違法性を決定し、その傾向が主観的違法要素として犯罪の成立に必要とされる場合をいう。強制わいせつ罪は傾向犯の1例である。

 例えば、医者が女性患者の身体を診察する場合に、治療のつもりで診察がなされるのであればその行為は適法であるが、わいせつのつもりで診察がなされるのであればその行為は違法である[強制わいせつ罪]。
 主観的違法要素を肯定する見解は、医者の主観[わいせつのつもりかどうか]を考慮しなければ行為の違法性を評価することができないと主張する。

 それ以外に、「行為者の故意・過失が主観的違法要素にあたるか」についても、争いがある。行為者の故意・過失がその行為の違法性に影響を与えるのかという問題である。

 主観的違法要素を認めることと、客観的違法性論をとることは、何ら矛盾するものではない。客観的違法性論は行為の違法性の有無の「評価」を客観的にすべきだとする見解であって、主観的違法要素は「評価の対象」の1つにすぎないからである。つまり、「評価」が客観的になされる限り、「評価の対象」には、客観的なものだけではなく、主観的なものがあってよいというのである。

<行為無価値論と結果無価値論>

 客観的違法性論の内部でも、行為無価値論と結果無価値論とが対立する。

 客観的違法性論は、行為者の行為が違法かどうかを、客観的に「評価」するという立場である。

 行為無価値論は、この客観的違法性論を前提としつつも、違法性の「評価」と、違法性の「評価の対象」となる要素とを区別する。その上で、違法性の「評価」は客観的になされなければならないが、後者の「評価の対象」には、「法益侵害の有無又はその発生の危険性の有無」だけでなく、「行為者の故意・過失その他の主観的要素」も含まれると主張する。

[理由]

 行為無価値論は社会倫理ないし法規範に違反することが「違法」であると捉えるので、行為の違法性を正しく評価するためには、犯罪結果だけでなくその犯罪結果を発生させた「行為の意味」をも考慮しなければならない。

※行為無価値論によると、「評価」自体と「評価の対象」とは区別されるので、客観的違法性論を採って違法評価を客観的になすべきだとすることと、「評価の対象」に行為者の主観を含めることとは、何ら矛盾しないとされる。

※行為無価値論も違法と責任を区別するが、違法とは「一般人を基準」として判断した場合に法規に違反することであり、責任とは「行為者本人を基準」として判断した場合に法規範に反することだという。

※「法的に無価値」=違法である。

※結果無価値論を採る論者であっても、「目的」や「内心的傾向」が主観的違法要素であることは認める。ただ、「故意・過失を含めて、主観的違法要素を広く認める」というわけではない。

<違法性阻却の一般原理>

 どのような場合に実質的に違法なのかという問題は、どのような場合に違法性が阻却されるかという問題と同じ問題である。
 違法性阻却の一般原理をどのように解するかという問題については、次のような学説がある。

≪目的犯≫

 正当防衛行為等に違法性阻却が認められるのは、それが社会共同生活の目的を達成するために必要な手段としてなされるからである。
 違法性が阻却されるのは、「行為が正当な目的のための正当な手段であるとき」である。
※行為無価値論の考え方に結びつきやすい。

≪優越利益説≫

 正当防衛行為等に違法性阻却が認められるのは、価値の高い利益を守るためには、価値の低い利益を犠牲にすることも認めざるをえないからである。
 違法性が阻却されるのは、「行為によって侵害された利益と、行為によって維持された法益・利益とを比較衡量し、後者が前者を上回るとき」である。
※結果無価値論の考え方に結びつきやすい。

≪社会的相当性説≫

 正当防衛行為等に違法性阻却が認められるのは、歴史的に形成された倫理秩序の枠内の行為だからである。
 社会的相当性説は、目的説と優越的利益説の両者を包含する考え方で、違法性が阻却されるのは、「総括的にみて、行為が社会的に相当だと認められるとき」だとする。

<正当行為>

 刑法35条は、「法令又は正当な業務による行為は、罰しない。」と定めている。
 これは、法令行為及び正当業務行為については、原則的に「違法性阻却事由」となる旨を定めたものだと解されている。

[1] 「法令行為」とは、法律・命令の規定に基づいて、行為者の権利・義務として行われる行為を意味する。
 
 例えば、警察官が適式の逮捕状に基づいて被疑者を逮捕する行為は、逮捕罪の構成要件に該当するものの、法令行為にあたり、違法性が阻却されると解されている。

[2]「正当業務行為」とは、法令・命令に直接根拠となる規定がなくとも、社会観念上正当な業務に基づくものと認められる行為をいう。

 例えば、プロボクサーが試合で相手を殴ってけがをさせる行為は、傷害罪の構成要件に該当するものの、正当業務行為にあたり、違法性が阻却されると解されている。

[3]「正当業務行為」について違法性が阻却されるという刑法35条の趣旨から、「業務行為でなくとも、それと同じ性質の、社会観念上正当なものと認められる行為」についても、違法性が阻却されると解されている。
 
 これら[1]〜[3]の、国家・社会倫理規範に照らして違法性が阻却されると認められる行為は、広く、「正当行為」と呼ばれている。

[正当行為のまとめ]

・法令行為 35条に明文あり
・正当業務行為 35条に明文あり
・その他社会観念上正当なものと認められる行為 明文なし
 自救行為、被害者の承諾による行為、推定的承諾による行為、治療行為等

 「自救行為」とは、権利者がみずからの権利を侵害された場合に、国家による救済手続の履行を待っていたのでは、時間的に間に合わず、権利の回復が著しく困難になってしまうときに、権利者が自らの実力で権利の回復を図ることをいう。
 傍論中において、自救行為が成立する余地のあることを認めた判例もある。
 「推定的承諾」とは、被害者が現実には承諾を与えていないものの、もし被害者が事態を知っていたならば当然承諾をしたてあろう推定される行為のことである。
 例えば、火災で燃えている住宅に、その居住権者の承諾を得ることなく立ち入る行為については、住居侵入罪も成立しない。

<被害者の承諾[同意]>

 被害者の承諾[同意]により、違法性が阻却される場合が認められている。ただ、具体的にどのような場合に違法性が阻却されるのかについては、争いがある。

 被害者の承諾[同意]がある場合には、「違法性」が阻却される以前に、そもそも「構成要件」に該当しない場合が多い[例えば、窃盗罪]。被害者の承諾により、違法性が阻却されるかが実際に問題となるのは、傷害罪である[これを「同意傷害」という。]。

<被害者の承諾[同意]によって、なぜ違法性阻却が認められるのか>

 なぜ、被害者の承諾[同意]によって違法性が阻却されるのか。そのことをいかに説明するかについては、争いがある。これは、「被害者の承諾[同意]によって違法性阻却が認められるための成立要件として、社会的に相当であることを必要とするのか」という問題に関わる。

<A説> 被害者の承諾のある行為は、社会的に相当な行為とみることができるから、違法性が阻却されるという考え方[社会的相当性説に基づく]
・仮に被害者の承諾があったとしても、それが社会的相当性を欠き法的に許容できないものであるときは、その承諾は犯罪の成否に消長を来さない。

<B説> 被害者の承諾のある行為は、保護すべき法益がないから、違法性が阻却されるという考え方[優越的利益説に基づく]。
・被害者の承諾があった場合には、被害者が自分の利益を放棄しているのだから、国家が関与する必要はない。
・被害者の承諾があった場合には、生じた「結果」がその承諾の範囲を超えていたり、その「手段」が承諾の範囲を超えていたときに限り、その承諾は犯罪の成否に消長を来さない。

※判例は、承諾が違法な目的によることを理由として違法性阻却を否定しており、A説に立つと考えられる。
 同決定は、AとBが過失による自動車衝突事故であるように装い、保険金騙取を企てた。この場合の自動車事故の被害者であるBの承諾は、保険金を騙取するという違法な目的に利用するための違法なものであって、これによって傷害行為の違法性を阻却するものでないとした。

<被害者の承諾[同意]により違法性阻却が認められるための要件>

[1]被害者の処分可能な法益についての承諾であること

 例えば、国家的、社会的法益は×

[2]有効な承諾であること[承諾の意味を理解する能力のある者によって、自由な真意に基づいてなされたこと]

 例えば、「幼児や精神障害者」による承諾、錯誤に基づく承諾では×

 判例によると、強盗犯人が、強盗の意図を隠して「こんばんは」と挨拶し、これに対して家人が「お入り」と応答したのに応じて住居に立ち入った場合には、住居侵入罪が成立する。
 これは、強盗犯人が強盗の意図を隠して住居権者から承諾を得たとしても、その承諾は錯誤による無効なものであって、住居権者の意思に反する立ち入りだからだと説明する。

[3]承諾の「方法・時期」が適正なものであること

@ 方法・・・同意は自ら行う必要がある[代理人×]
A 時期・・・同意は「実行行為の時点」で存在していなければならない。
        実行行為後に被害者が承諾しても、×

[4]行為者が承諾の存在を認識していなければならないか。
  争いあり。

≪行為者が承諾の存在を認識していなければならないか≫

<A説> 被害者の承諾(同意)のある行為は、社会的に相当な行為とみることができるから、違法性が阻却されるという考え方(社会的相当性説に基づく)

 →承諾の存在が必要

<B説> 被害者の承諾(同意)のある行為は、保護すべき法益がないから、違法性が阻却されるという考え方(優越的利益説に基づく)

 →承諾の存在の認識は不要

[5] 承諾を得てなされた行為自体が社会的に相当であることを要するか。
   争いあり。

<A説> 被害者の承諾(同意)のある行為は、社会的に相当な行為とみることができるから、違法性が阻却されるという考え方(社会的相当性説に基づく)

 →社会的に相当であることを要する。「指つめ」は傷害罪

<B説> 被害者の承諾(同意)のある行為は、保護すべき法益がないから、違法性が阻却されるという考え方(優越的利益説に基づく)

 →社会的相当性を要件としない。「指つめ」は無罪

※ただし、B説も、「生命に危険のあるような重大な障害」は違法性を阻却しないとする。

<傷害罪以外の犯罪における承諾[同意]の影響>

 被害者の承諾[同意]があることによって、@そもそも構成要件に該当しなくなる場合、A適用される規定が変わる[→刑が軽減される]場合、B承諾が犯罪の成否に影響しなかったり、承諾の有無が問題とならない場合がある。

[例1] 窃盗罪[235条]

 他人の承諾[同意]を得てその財物を持ち去ったとしても、窃盗罪の構成要件に該当しない。

[例2] 住居侵入等の罪[130条]

 居住権者の承諾[同意]を得て住居に立ち入ったとしても、住居侵入罪の構成要件に該当しない。

[例3] 放火罪[108条・109条]

 承諾[同意]があることによって、「適用される規定」が変わる[刑が軽くなる]。例えば、現住建造物放火罪[108条]→非現住建造物放火罪[109条]

[例4] 殺人罪[199条]

 承諾[同意]を得ることによって、「適用される規定」が変わる[刑が軽くなる]。殺人罪[199条]→同意殺人罪[202条後段]

[例5] 内乱罪[77条]

 国家的法益を保護法益とする罪なので[個人による処分が不可能なので]、承諾[同意]の有無は問題とならない。

[例6] 強制わいせつ罪[176条]、強姦罪[177条]

 13歳未満の被害者の承諾[同意]の有無は、犯罪の成否に影響しない

[例7] 未成年者の誘拐[224条]

 未成年者の承諾[同意]は、犯罪の成否に影響しない。

つづく・・・

 
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2012年01月20日

独学院 構成要件的過失から

おはっす。参りましょう。

<構成要件的過失>

 構成要件的過失とは、行為者が、犯罪事実の表象・認容を欠き、その犯罪事実を実現させるについて注意義務違反が認められることをいう。

≪構成要件的過失が認められるための要件≫

1 構成要件的過失が認められるのは、行為者が、犯罪事実の表象・認容を欠く場合、すなわち構成要件的故意の認められない場合に限られる。

2 構成要件的過失が認められるためには、行為者に刑法上の注意義務違反が認められる場合でなければならない。

<構成要件的過失の種類>

 構成要件的過失には、認識ある過失と認識ない過失とがある。

・認識のある過失とは、犯罪結果発生について表象しているが、認容を欠く場合をいう。

・認識のない過失とは、犯罪的結果発生について表象・認容ともに欠いている場合をいう。

<故意と過失の境界>

 認識のある過失は、未必的故意と境を接する。どちらも犯罪的結果発生について表象している点では共通するが、認識のある過失は結果発生について認容を欠くのに対し、未必的故意には認容があるという点で異なる。

<過失犯の注意義務>

 構成要件的過失とは、行為者が、犯罪事実の表象・認容を欠き、その犯罪事実を実現させるについて注意義務違反が認められることをいう。

2 構成要件的過失が認められるためには、前述の1の要件のほか、行為者に刑法上の注意義務違反が認められる場合でなければならない。

・過失犯における注意義務は、法令、社会の慣習、条理によって定められる。

・過失犯における注意義務は、結果予見義務と結果回避義務とに分けられる。

 結果予見義務とは、犯罪結果発生を予見しなければならないという義務である。
 結果回避義務とは、その予見にもとづいて、結果の発生を回避すべき義務をいう。

・具体的な事例において、結果予見義務、結果回避義務が認められるか否かは、一般人の注意能力を基準として判断される。

≪通常の過失よりも重い過失>

 これには、業務上の過失と重過失がある。

・業務上の過失とは、一定の業務に従事する者が、その業務上必要な注意をおこたることをいう。業務上過失致傷罪や業務上失火罪などがある。通常の過失による場合過失致傷罪や失火罪に比べて刑が加重されている。

・重過失とは、注意義務違反の程度が著しい場合をいう。重過失致傷罪などがある。通常の過失による場合、過失致傷罪に比べて、刑が加重される。

<信頼の原則>

 信頼の原則とは、過失の有無の判断上、交通秩序に従って交通に関与する者は、特別の事情のない限り、他の交通関与者も交通法規その他の交通秩序を守って、行動することを信頼してよいという考え方である。判例も信頼の原則を採用している。

≪信頼の原則が適用されるとどうなるのか≫

 他の交通関与者の不適切な行動によって事故が発生しても、それに対する責任を問われない。

※信頼の原則は、幼児や老人など、異常な行動に出やすい者には適用されないと解されている。

<結果的加重犯>

 結果的加重犯(けっかてきかちょうはん)とは、基本となる故意行為[基本行為]によって重い法益侵害の結果が生じた場合に、その重い結果を重視して刑が加重される犯罪類型をいう。傷害致死罪[205条]がその典型例である。

 例えば、AがBに怪我をさせようと考え、Bの方に向けてバットを振り下ろしたところ、誤って頭に当たってしまい、Bを死亡させたという場合である。

・傷害罪・・・・・15年以下の懲役又は50万円以下の罰金
・傷害致死罪・3年以上の有期懲役

 結果的加重犯の重い結果について、行為者に過失があることを要するかについては、争いがある。
 学説は、責任主義の観点から、基本となる犯罪のほかに、重い結果についての過失のあることを要すると解している。
 しかし、判例は、大審院の時代からほぼ一貫して、結果的加重犯が成立するためには、重い結果の発生につき行為者に過失は不要であるとし、基本行為と重い結果との間に条件関係が認められることをもって足りるとしている。

つづく・・・
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2012年01月18日

独学院 責任主義から

参りましょう。

<責任主義>

 責任主義とは、「責任なければ犯罪なし」という原則という。

 江戸時代には、@Aが犯罪を犯せば、その家族らも罰せられたり[連帯責任]、A犯人の心情いかんにかかわらず、ただ害悪を発生させたというだけで刑罰を科せられたりした[結果責任]。
 近代以降の刑法は、このような連帯責任や結果責任を否定し、「責任主義」の原則を採用している。

 責任主義の内容としては、@「個人責任の原則」とA「[狭義の]責任主義」がある。

@個人責任の原則・・・「連帯責任」の否定。責任は各人ごとに個別的である。Aが犯罪を犯したからといって、他人Bが刑罰を科せられることはない。

A[狭義の]責任主義・・・「結果責任」の否定。故意または過失がなければ、刑罰を科せられることはない。

<故意>

 責任主義とは、「責任なければ犯罪なし」という原則をいい、この原則には、「故意または過失がなければ、犯罪を科せられることはない。」という原則が含まれる[狭義の「責任主義」という。]。

 この責任主義に基づいて、刑法38条1項は、「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りではない。」と定めている。
 ここでいう「罪を犯す意思」を、「故意」といい、故意を要素とする犯罪を「故意犯」という。
 日本の刑法では、故意犯を原則とし、「法律に特別の規定がある場合」に限って、過失犯を処罰するものとされているのである。

<故意・過失の体系的地位>

 故意・過失の体系的地位とは、「故意・過失が、犯罪論上、構成要件、違法性、責任のどこに位置づけられるか」という問題である。
 かつて、故意・過失は、「責任」要素だと解されていた。しかし、現在では、故意・過失は「責任要素」であると同時に「構成要件要素」でもあると解されている。
 この見解によれば、まず構成要件該当性の段階で、「構成要件的故意」「構成要件的過失」の有無が検討される。さらに、責任の段階で、「責任故意」「責任過失」の有無が検討されることになる。

<構成要件的故意>

 「構成要件的故意」とは、犯罪事実についての表象・認容をいう。
 「表象」とは、現在の事実についてはそれを認識することであり、将来の事実についてはそれを予見することをいう。

 構成要件的故意は、必ずしも「確定的」である必要はない。構成要件的結果の発生が不確実であると表象している場合であっても、「結果が発生してもかまわない」と「認容」している場合には、構成要件的故意が認められるのである。これを、「未必の故意」という[「不確定的故意」の1つ]。

≪「必ず死ぬ」と予見しながら包丁で被害者を刺してこれを殺害した場合≫

 結果の発生は確実であるとの表象あり→故意が認められる[「確定的故意」という。]。

≪「死ぬかもしれない」と予見しつつ、「死んでもかまわない」と認容しながら包丁で被害者を刺して殺害した場合≫

 結果の発生は確実であるとの表象はないが、結果が発生してもかまわないという「認容」はある。→この場合も故意が認められる。

<構成要件的故意の対象>

 構成要件的故意が認められるためには、行為者はどのような事実について表象していることが必要か[構成要件的故意の対象となるのは、どのような事実か]。

 犯罪の成立要件として構成要件的故意が必要とされるのは、責任主義にもとづく。よって、ある事実が構成要件的故意の対象となるかは、「『その事実につき表象していないにもかかわらず故意犯が成立する』と解しても、責任主義に違反しないか」という観点から考えるべきである。

 構成要件的故意の対象となるのは、原則として、「犯罪事実の全部」である。

・実行行為・・・自分が「殺す行為」をしていることを表象していなければならない。
・結果・・・「被害者が死ぬ」という殺人の結果発生について表象していなければならない。
・因果関係・・・行為から結果の発生に至る因果経過が相当因果関係の範囲内にあることについて、行為者は予見していなければならない。

<錯誤1>

 責任主義から、故意・過失がなければ行為者は処罰されない。
 それでは、行為者が表象していたところと実際に発生したところとの間に「食い違い」があったとき、構成要件的故意は認められないのか[構成要件的故意が欠けることを、「構成要件的故意が『阻却』される」などという。]。これが「錯誤」の問題であり、学説上の争いがある。

≪考え方≫

■法定符合説[判例・通説]

 行為者の表象していた事実と実際に発生した事実とは、「構成要件の範囲内」で「重なり合っていればよい」とする考え方。

■具体的符合説[有力説]

 行為者の表象していた事実と実際に発生した事実とは、「具体的に重なり合っていること」を要する考え方。

■抽象的符合説[少数説]

 行為者の表象していた事実と実際に発生した事実とは、「構成要件の枠を超えて、事実上重なり合っていればよい」とする考え方。

※司法書士試験では、具体的事例について、法定符合説によると、どのような論点になるかが問われている。

<錯誤が問題となる事例>

 錯誤が問題となる事例を分類すると、「同一構成要件内の錯誤」と「異なった構成要件間の錯誤」に分類される。同一構成要件内の錯誤は、さらに、「客体の錯誤」、「方法の錯誤」、「因果関係の錯誤」に分類される。

[1]同一構成要件内の錯誤

 「同一構成要件内の錯誤」とは、錯誤が同一構成要件内にとどまる場合をいう。「具体的事実の錯誤」と呼ばれる。さらに、以下の@〜Bの種類がある。

@「客体の錯誤」とは、行為者が行為の客体を取り違えた場合である。

<例>暴力団員Aは、街角を歩く人の後姿を見てその人をBだと思い、ピストルで撃って殺した。ところが、殺した相手は、Bではなく、Cであった。

A「方法の錯誤」とは、行為者が意図していたのと違う客体に結果が発生した場合である。

<例>暴力団員Aが、Bを殺害しようと思い、Bを狙ってピストルを撃ったところ、狙いが外れて、Bではなくその傍らにいたCに弾が当たって、Cを殺害してしまった。

B「因果関係の錯誤」とは、行為者の意図していた結果が発生したが、行為から結果に至るまでの因果経過が行為者の表象していたところと一致していなかった場合である。

<例>AがBを殺すつもりでBの首を絞めた。Bがぐったりしたので、AはBが死んだと思い、砂浜に埋めた。しかし、首を絞めた時点ではBは死んでおらず、実際に死亡したのは砂浜に埋めた時点であった。

[2]異なった構成要件間の錯誤

 「異なった構成要件間の錯誤」とは、錯誤が異なる構成要件にまたがって発生した場合である。「抽象的事実の錯誤」と呼ばれる。「抽象的事実の錯誤」にも、客体の錯誤と方法の錯誤とがある。

<例>AがBの飼い犬を殺害しようとしてピストルを撃ったところ、狙いが外れて、傍らにいたBに弾が当たって、Bを殺害してしまった。


<同一構成要件内の「客体」の錯誤>

≪事例≫

 Xは、Aを殺害する意思であったが、BをAと見誤り、殺意をもって、Bに向けて拳銃を発砲し、Bを死に至らしめた。

≪法定的符合説による結論≫

 行為者Xは、Aという人を殺害するつもりで、Bという人を殺害しており、客体について錯誤が認められる。しかし、「人」を殺している以上、Xの意図していたところと、実際に発生したところの食い違いは、殺人罪という「同一構成要件の範囲内」にとどまるので、殺人罪の構成要件的故意は阻却されない。
 したがって、Xには、Bに対する殺人罪が成立する。

[理由]

 例えば、殺人罪の199条には「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。」と定められているが、ここには「人を殺してはならない」という「規範」が含まれていると見ることができる。

 行為者が人を殺したことにつき故意責任を問われるのは、この「規範」に直面して犯罪を犯すのを思いとどまることができたにもかかわらず、あえて行為に出た点に、責められるべき点があるからである。

 この「規範」は「構成要件」ごとに与えられているのだから、錯誤が「同じ構成要件の範囲内」にとどまる限り、故意は阻却されない。
 錯誤が同一構成要件の範囲内にとどまる限り、故意責任を負うとしても、「責任主義」に違反しない。

<同一構成要件内の「方法」の錯誤>

≪事例2≫

 Xは、Aを殺害する意思で、Aに向けて拳銃を発砲したが、手元が狂ってAには当たらず、近くにいたBに命中させ、Bを死に至らしめた。

<法定的符合説による結論≫

 行為者Xは、Aという「人」を殺そうとして、Bという「人」を殺している。この点に錯誤が認められる。しかし、「人」を殺すつもりで「人」を殺している以上、Xの意図していたところと、実際に発生したところとの食い違いは、殺人罪という「同一構成要件の範囲内」にとどまるので、殺人罪の構成要件的故意は阻却されない。
 したがって、Xには、「B」に対する「殺人既遂罪」が成立する。
 
 また、Xは、Aを狙って拳銃を発砲したことから、Aに対しても殺人罪の結果発生の危険性を発生させたと認めるから、「A」に対する「殺人未遂罪」も成立する。
 結局、≪事例2≫のXには、「B」に対する「殺人既遂罪」と「A」に対する「殺人未遂罪」の2つの犯罪*が成立し、両者は「観念的競合**54条1項前段]になる。

*法定的符合説によると、A1人を殺害しようとして、ABの2人を殺害した場合、2個の殺人既遂罪の成立を認めることになる(数故意説)。これに対しては、反対説から、「1人を殺害する」という故意の内容以上の責任を認めることになるとの批判もある。
 しかし、法定的符合説は、2個の故意犯が成立しても、両罪は観念的競合となるので、差し支えないと反論する。

**観念的競合とは、一個の行為が二個以上の罪名に触れる場合である。
 例えば、1個の弾丸で2人の人間を殺害する場合である。行為は1個だが、本来、殺人罪の構成要件に2回該当する。しかし、「その最も重い刑により処断する」とされ、「一罪」と扱われる。


<異なった構成要件間の錯誤>

 例えば、行為者が、他人の犬を殺そうと意図して、その犬に向けてピストルを発砲したところ、狙いが外れて、その犬の飼い主を殺してしまった場合である。この場合、錯誤は、殺人罪と器物損壊罪[動物傷害罪]にまたがって発生している。

 異なった構成要件間の錯誤については、刑法38条2項が定めている。
 「重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い刑によって処断することはできない。」
 これは、責任主義に基づくも規定である。

 しかし、38条2項の条文からは、「『重い罪によって処断することがでいない場合』に軽い罪で処断することができるか」、「『軽い』罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時に『重い』罪にあたることとなる事実を表象していたものがどうなるか」については、明らかではない。これらの問題をいかに解決するべきかを巡って争いがある。

<異なった構成要件間の錯誤〜法定的符合説による結論>

 法定的符合説は、行為者の表象していた事実と実際に発生した事実とは、「構成要件の範囲内」で「重なり合っていればよい」とする考え方である。
 よって、法定的符合説によると、異なる構成要件間の錯誤の場合、原則として、故意は阻却される。

 例えば、Aが犬を殺すつもりでBという人を殺した場合、殺人罪についての構成要件的故意は阻却されるので、殺人既遂罪は成立しない。Bに対する過失致死罪が成立するにとどまる。また、器物損壊罪[動物傷害罪]の未遂を処罰する規定は存在しないので、「犬を殺しそうになったこと」についての罪は成立しない。

 ただし、錯誤にかかわる2つの構成要件に「重なり合い」が認められる場合には、その重なり合う限度で軽い罪の構成要件的故意が認められる「軽い罪が成立する」。

 例えば、行為者が軽い遺失物横領罪を犯すつもりで重い窃盗罪を犯した場合、その者には軽い遺失物横領罪の限度で構成要件的故意が認められ、遺失物横領罪が成立する。

<異なった構成要件間の「客体」の錯誤>

≪事例3≫

 Xは、Aを殺害する意思であったが、A宅に飾ってあったA所有の人形をAと見誤り、殺意をもって、人形に向けて拳銃を発砲し、人形を損壊した。

≪法定的符合説による結論≫

[1]行為者の意図していたところと、実際に発生したところとの食い違いが、異なった構成要件にまたがっている場合、原則として、構成要件的故意は阻却される。
 ただし、錯誤にかかわる2つの構成要件が同質的で重なりあう場合、軽い罪の限度で構成要件的故意が認められ、軽い罪の既遂罪が成立する。

 ≪事例3≫では、Xは、Aという「人」を殺害する意図で、A所有の人形という「他人の物」を損壊している。重い殺人罪を犯す意思で、軽い器物損壊罪に当たる効果を発生させた場合である。

[2]まず、殺意をもってAに対して拳銃を発砲した行為は、A殺害という結果発生の現実的危険性を発生させる行為であるから、この行為について、Aに対する殺人未遂罪が成立する。

[3]次に、A所有の人形の損壊という器物損壊について、Xには、いかなる罪が成立するか。
 器物損壊罪と殺人罪とでは、構成要件の重なり合いは認められないので、器物損壊罪の構成要件的故意は阻却される。よって、器物損壊罪は成立しない。
 また、誤って人形を壊したのであるから、「過失による器物損壊罪」が成立しそうであるが、「過失による器物損壊」を処罰する規定は存在しないので、過失犯としても処罰されない。A所有の人形の損壊という器物損壊については、Xには、犯罪は成立しない。

[4]以上により、Xには、Aに対する殺人未遂罪一罪が成立する。

<異なった構成要件間の「方法」の錯誤>

 ≪事例4≫

 Aを殺害する意思で、Aにむけて拳銃を発砲したが、手元が狂ってAには当たらず、近くにあったA所有の人形に命中させ、人形を損壊させた。

≪法定的符合説による結論≫

 行為者Xは、Aという[人]を殺そうとして、A所有の人形を「他人の物」を損壊している。≪事例3≫と異なり、「方法の錯誤」の場合である。

[1]行為者の意図していたところ、実際に発砲したところとの食い違いが、「異なった」構成要件にまたがっている場合、原則として、構成要件的故意は阻却される。
 ただし、錯誤にかかわる2つの構成要件が「同質的で重なり合う」場合、軽い罪の限度で構成要件的故意が認められ、軽い罪の既遂罪が成立する。「異なった構成要件間の『方法』の錯誤」の場合も、「異なった構成要件間の『客体』の錯誤」の場合と同様となる。

[2]まず、殺意を持ってAに対して拳銃を発砲した行為は、A殺害という結果発生の現実的危険性を発生させる行為であるから、この行為について、Aに対する殺人未遂罪が成立する。

[3]次に、A所有の人形の損壊という器物損壊について、Xには、いかなる罪が成立するか。
 器物損壊罪と殺人罪とでは、構成要件の重なり合いは認められないので、器物損壊罪の構成要件的故意は阻却され、器物損壊罪は成立しない。
 また、誤って人形を壊したのであるから、「過失による器物損壊罪」が成立しそうであるが、「過失による器物損壊罪」を処罰する規定は存在しないので、過失犯としても処罰されない。A所有の人形の損壊という器物損壊については、Xには、犯罪は成立しない。

[4]以上により、Xには、Aに対する殺人未遂罪一罪が成立する。

<因果関係の錯誤>

 甲は、海岸で乙を殺害しようとしてその首を絞めたところ、乙が失神して身動きしなくなった。甲は乙が死亡したものと思い、犯行を隠すため、乙を船に乗せて沖合で海中に投げ込んだところ、乙は溺死した。

≪通説による処理≫

 「乙の首を絞めた行為」と「海に投げ込んだ行為」とを「ひとつの行為」ととらえる。
 そして、甲が予見した因果の経過[首を絞めて、乙が死亡]と、実際に発生した因果の経過[乙は、海中にて溺死]の間に食い違いがあっても、その食い違いが相当因果関係の範囲内である限り、構成要件的故意が阻却されないと考えられる。

つづく・・・
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独学院 因果関係から

参りましょう。

<因果関係>

 結果犯において構成要件該当性が認められるためには、結果の発生が必要である。それだけでなく、その結果は、行為と無関係に発生したものであってはならず、行為と結果との間には、「因果関係」が認められなければならない。
 いかなる場合にこの因果関係が認められるかについては、争いがある。

≪条件説≫

 行為と結果との間に「あれなければこれなし」という条件関係がある場合に、刑法上の因果関係が認められる。

≪相当因果関係説≫

 行為と結果との間の条件関係の存在を前提としつつ、さらに、その行為から結果が発生することが一般的であり、社会通念に照らして相当である場合に限定して、刑法上の因果関係が認められる。

※ 相当因果関係説は、「条件説では条件関係が認められさえすれば刑法上の因果関係が認められるということになってしまい、処罰範囲が広がりすぎてしまう」という問題意識から、刑法上の因果関係が認められる場合を合理的範囲に「制限」するために主張されるようになった考え方である。

<条件関係>

 構成要件該当性が認められるためには、行為と結果が「あれなければこれなし」の関係になければならない。この関係を、「条件関係」という。
 刑法上の因果関係が認められるには、まず、この条件関係が認められなければならない[この点では争いなし。]。

≪条件関係が認められない場合≫

 「行為とは無関係に別個の事実から結果が発生した場合」には、条件関係はみとめられない。このような場合を、「因果関係の断絶」などという。

≪事例1≫

 甲が乙に致死量の毒薬を投与したが、その毒薬が効く以前に、乙の自宅に落雷があったために乙が死亡した場合、条件関係は認められない。

≪条件が認められる場合≫

 行為と結果との間に「あれなければこれなし」の関係がありさえすれば、たとえ途中で「他人の行為」や「自然の事実」が介入した場合であっても、条件関係が認められる。

≪事例2≫

 甲は、乙を殴って怪我をさせた。病院の医師丙が乙の治療にあたったが、その医療ミスによって、乙は死亡した。
 この場合、甲の「殴った」という行為と「乙の死亡」という結果との間には、条件関係が認められる。「殴った」のでなければ、丙の治療は受けなかったのであり、丙の治療を受けていなければ、死ぬこともなかったからである。

≪事例3≫

 甲は、乙を殴って怪我をさせた。乙は治療のために病院に入院したところ、大地震のためにその病院が倒壊し、乙は死亡した。この場合も、≪事例2≫と同様、条件関係が認められる。

※ 条件関係がありさえすれば刑法上の因果関係も認められるとする条件説によると、事例2、事例3でも因果関係が認められることになってしまう。条件説によるこの結論を批判し、刑法上の因果関係が認められる範囲を「合理的範囲に制限」しようと試みるのが、「相当因果関係説」である。

≪発展≫ 択一的競合、仮定的因果関係

 択一的競合

 AとBが、Cの殺害を意図し、同時にピストルの引き金を引いたところ、2つの弾丸が同時にCの急所に命中してCが死亡した。この場合のAとBとの関係を、「択一的競合」という。
 この場合、「あれなければこれなし」の関係にはない。しかし、この場合にも因果関係が認められると解されている。具体的には、「いくつかの条件のうち、いずれかを除いても結果は発生するが、全ての条件を除けば結果が発生しない場合には、すべての条件について、因果関係が認められる」とする。条件公式を修正して適用するのである。

 仮定的因果関係

 死刑執行人Aが死刑囚Bの死刑を執行しようとしたところ、Bに殺害された被害者の父Cが突然現れて、Bを殺害してしまった。
 この場合、Cの行為がなかったとしても、Aによって死刑が執行されれば、Bは、死亡する。よって、「あれなければこれなし」の関係に無いように思える。しかし、因果関係の存否を判断する際しては、この「Aによる死刑執行」のような現実化していない条件を付け加えて考えるべきではないとされる。

≪相当因果関係≫

 事例2と事例3において、刑法上の因果関係が認められるか。

≪相当因果関係説≫

 行為と結果との間の条件関係の存在を前提としつつ、さらに、その行為から結果が発生することが一般的であり、社会通念に照らして「相当」である場合に限定して、刑法上の因果関係が認められる。

 ただ、相当因果関係説の内部でも、「相当性」の有無を基礎として、どのような事情[「相当性判断の基礎事情」などという。]を考慮すべきかについて、争いがある。

■主観説

 行為当時、「行為者が認識していた事情」及び「行為者が認識することができた事情」を、基礎事情とする。

■客観説

 「行為当時、存在していたすべての事情」、および、「事後に発生した事情でも、それが一般人に予見可能であったもの」は、すべて基礎事情として考慮すべきだとする。

■折衷説

 行為当時、「一般人ならば知ることのできた事情」及び「行為者がとくに知っていた事情」を、基礎事情として考慮する。

※ 相当因果関係説によると、事例2と事例3では、刑法上の因果関係は認められない。主観説・客観説・折衷説のいずれの立場をとっても、異ならない。

<相当因果関係説内部の対立>

 相当因果関係説の中でも、相当性判断の基礎事情として、どのような事情を考慮すべきかについては争いがあり、主観説、客観説、折衷説が対立する。
 それぞれの見解によって結論が異なるのは、どのような場合か、

≪事例4≫〜一般人は認識可能だか、行為者本人は不知・認識不能

 Aは、Bを殴って軽い怪我をさせた。しかし、Bは血友病であったため、出血多量により死亡してしまった。Aの行為当時、Bが血友病であるという事実について、一般人は知ることができたが、Aは知らなかったし、知ることができなかった。

 「客観説」及び「折衷説」によると、「Bが血友病である」という事実を、相当性判断の基礎事情として考慮することができる。「Bが血友病である」という事実を基礎として考えると、Aの行為からB死亡という結果が発生することは、社会通念に照らして相当であるから、相当因果関係も認められるという結論になる。
 これに対し、「主観説」によると、Aが知らず、かつ、知ることができなかった「Bが血友病である」という事実を、相当性判断の基礎事情として考慮することができない。その事実を基礎としないで考えると、Aの「殴る」行為からB死亡という結果が発生することは、社会通念に照らして相当でないから、相当因果関係もみとめられないという結論になる。

 次にそれぞれの見解に対する批判には、どのようなものがあるか。

■主観説に対する批判

 主観説によると、「行為者の認識することができなかった事情」が、基礎事情から除外される。これでは、因果関係が認められる範囲が[狭く]なりすぎる[行為者が認識できなかった事情であっても、一般人にとって認識可能の事情は除外すべきではない。]。→現在では、主観説を支持する学説はない。

■客観説に対する批判

 客観説によると、「行為当時に、一般人が知ることができず、かつ、行為者本人も知らなかった事情」まで、基礎事情に含まれてしまう。これでは、因果関係が認められる範囲が「広く」なりすぎる。[折衷説からの批判]

■折衷説に対する批判

 折衷説は、行為者が知っていたかどうかという主観的事情を基礎事情として考慮する。しかし、因果関係というものは、本来、客観的なものでなければならないはずであって、行為者が知っていたかどうかは、因果関係に影響を及ぼすものではないはずである[客観説からの批判]。

※因果関係が認められる範囲、@客観説A折衷説B主観説の順序で、広い。

<条件説と客観説の違い>

[1]AがBを殺害しようとしてBをナイフで切りつけ、その結果入院したBが、入院先の病院の他の入院患者Cの放火による病院の火災により死亡した。

 「Aによる切りつけが無ければ、Bは入院することかった」のであり、「Bが入院していなければ、Cの放火による病院の火災により死亡することも無かった」のであるから、「あれなければこれなし」の関係にあり、条件関係は認められる。よって、条件説によると、刑法上の因果関係が認められる。
 しかし、Aの「切りつけ」行為当時に存在したすべての事情を基礎としても、「切りつけ→BがCの放火による病院の火災によって死亡」が社会通念に照らして相当であるとはいえない。よって、客観説によると、刑法上の因果関係は認められない。

[2]Aが列車で旅行中、Bとケンカになり、殺意をもってBの腹部を突き刺して重傷を負わせたところ、列車が転覆してその衝撃によりBが圧死した。

 「Aによる突き刺し」行為が無くとも、列車転覆によりBは死亡していたと認められるので、「あれなければこれなし」の関係にない[「因果関係の断絶」の事例]。よって、条件関係が認められない。
 したがって、条件説・客観説のいずれの立場に立っても、刑法上の因果関係が認められない。

つづく・・・

 

 
 
タグ:刑法 
posted by 94条2項の類推適用されずじまい at 00:38| Comment(0) | 刑法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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