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2012年02月08日

独学院 罪数から

ささ、参りましょう。

<罪数>

 罪数とは、犯罪の個数をいう。1人の行為者が数個の罪を犯した場合をどのように処理するのかが、罪数論である。罪数を決定することは、刑罰権[国家が行為者に対する刑罰を科することができる権利]の個数を決定することになるので、重要な問題となる。
 すなわち、1人の行為者が1個の犯罪を犯したときは、1個の刑罰権が発生し、数個の犯罪を犯したときは原則として数個の刑罰権が発生するというように、犯罪の個数は、同時に刑罰権の個数となるのである。

 罪数を定める基準については争いがあるが、構成要件的評価の回数によって、罪数を決定しようとする立場[構成要件標準説]が近年の通説であり、判例も、基本的にこれにしたがっていると解されている。

<罪数論>

 1人の行為者が数個の罪を犯した場合をどのように処理するのかが、罪数論である。具体的には、@当該行為が一罪なのか数罪なのか、A数罪であればそれをどのように処断するのか、という2つの問題がある。

  一罪    単純一罪
       
         評価上一罪    法条競合

                     包括一罪


  罪数    科刑上一罪[54条]

         併合罪[45条]


■ 法条競合

 1つの犯罪事実につき適用可能に見える罰条が複数あるが、1個の構成要件にしか該当しない場合。
 例えば、業務上横領行為には、業務上横領罪[253条]と単純横領罪[252条]のいずれも該当するように見えるが、業務上横領罪しか成立しない。

■ 包括一罪

 ある犯罪事実が形式上数罪が成立するように見えるが、1個の罪の評価に包括すべき場合。
 例えば、数人に対してわいせつ物を販売しても、わいせつ物販売罪[175条]の包括一罪である。

<科刑上一罪>

 科刑上一罪とは、特殊な理由から、数個の犯罪が刑を科する上で一罪として取り扱われる場合をいう。現行刑法における科刑上一罪には、観念的競合と牽連犯とがある[54条1項]。

 観念的競合とは、1個の行為が数個の罪名に触れる場合をいう[同条同項前段]。たとえば、職務執行中の公務員に暴行を加えて負傷させた場合には、傷害罪と公務執行妨害罪の観念的競合となる。

 牽連犯とは、犯罪の手段もしくは結果である行為が他の罪名に触れる場合をいう[同条同項後段]。すなわち、数個の犯罪がそれぞれ「手段・結果」、「目的・手段」、「原因・結果」の関係にある場合をいう。
 例えば、窃盗罪と住居侵入罪は目的・手段の関係にあるといえるから、牽連犯となる。
  
 観念的競合も牽連犯も、刑を科する上では一罪として取り扱われ、その数個の罪のうち最も重い刑により処断される[同条同項]。「最も重い刑」とは、判例によれば上限及び下限ともに最も重い法定刑を規定した罰条を意味する。
                   
<観念的競合>

 観念的競合とは、1個の行為が2個以上の罪名に触れる場合をいう[54条1項前段]。「1個の行為」とは、判例によれば、法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上、1個のもとの評価をうける場合をいう。

 1個の行為が2個以上の罪名に触れる場合としては、大きく2つの場合に分類できる。1つは、ピストルを1回発射して、他人の家の窓ガラスを割った上に、中にいた人を殺害したというように、1個の行為が器物損壊罪[261条]と殺人罪[199条]という異なった構成要件に当たる場合である。これは異種類の観念的競合と呼ばれる。

 もう1つは、1発の爆弾を投げつけて5人を殺したというように、1個の行為が同じ殺人罪[199条]の構成要件に数回該当するとみられる場合である。これは同種類の観念的競合と呼ばれている。

 観念的競合は、その最も重い刑により処断される[54条1項]。本来は罪数であるが、科刑上は、それらの全てをその数罪中の最も重い刑に含ませ、1罪として処断しようとするものである。

<牽連犯>

 牽連犯とは、犯罪の手段若しくは結果である行為が他の罪名に触れるとき[54条1項後段]をいう。
 牽連犯は、数個の行為がそれぞれ構成要件に該当し、罪数が成立するが、それぞれの犯罪の間に一方が他方の手段となるか、他方が一方の結果であるという関係が認められる場合をいう。

 手段・結果の関係について争いがあるが、判例によれば、犯罪の手段とは、ある犯罪の性質上その手段として普通にもちいられる行為をいうのであり、また犯罪の結果とは、ある犯罪より生ずる当然の結果を指すと解すべきであり、犯人が現実に犯した2罪がたまたま手段・結果の関係にあるだけでは牽連犯とはいえないとする。

 牽連犯と認められるためには、犯人が主観的にその一方を他方の手段又は結果の関係において実行したというだけでは足りず、その数罪間にその罪質上、通例手段結果の関係が存在すべきものであることを必要とするのである。

<併合罪>
 
 併合罪とは、確定判決を経ていない2個以上の罪をいう。ある罪について禁固以上の刑に処する確定判決があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする[45条]。
 併合罪の処分については、次のような規定がある。

・併合罪のうちの1個の罪について死刑に処するときは、他の刑を科さない[46条1項本文]。

・併合罪のうちの2個以上の罪について有期の懲役または禁錮に処するときは、その最も重い罪について定めた刑の長期にその2分の1を加えたものを長期とする。ただし、それぞれの罪について定めた刑の長期の合計を超えることはできない[47条]。

・併合罪のうちの2個以上の罪について罰金に処するときは、それぞれの罪について定めた罰金の多額の合計以下で処断される[48条2項]。

・罰金と他の刑とは、併科する。ただし、併合罪のうちの1個の罪について死刑に処するときは、この限りではない[48条1項]。

・併合罪のうちの重い罪について没収を科されない場合であっても、他の罪について没収の事由があるときは、これを付加することができる[49条1項]。

<第45条>[併合罪]

 確定判決を経ていない2個以上の罪を併合罪とする。ある罪について禁固以上の刑に処する確定裁判があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする。

<第54条>[1個の行為が2個以上の罪名に触れる場合等の処理]

@ 1個の行為が2個以上の罪名に触れ、又は犯罪の手段若しくは結果である行為が他の罪名に触れるときは、その最も重い刑により処断する。

A 第49条第2項の規定は、前項の場合にも、適用する。

{参} 第49条[没収の付加]A 2個以上の没収は、併科する。


■ 散歩中の2人連れをねらって散弾銃を1回発射し、その2人を負傷させた場合は、観念的競合となる。

<解説>

 散歩中の2人連れをねらって散弾銃を1回発射し、その2人を負傷させた場合は、殺人の故意がある場合は、それぞれに対して殺人未遂罪[203条・199条]、ない場合は、傷害罪[204条]が成立し、両罪は社会見解上1個のものと評価される行為から生じるものであるから、観念的競合となる[54条1項前段]。

■ 通行中の2人連れを呼び止めて、ピストルで脅迫しながらその場で各人から順次金員を交付させた場合は、観念的競合となる。

<解説>

 ピストルで脅迫しながらその場で各人から順次金員を交付させた場合、各人に対する強盗罪[236条1項]が成立して、観念的競合となる。強盗罪は、被害者各人ごとに成立し、それが社会見解上1個のものと評価される行為から生じたものであるからである。

■ 一度に数人の者に対し、わいせつ写真を販売した場合は、包括一罪となる。

<解説>

 わいせつ物販売罪[175条]においては、その性質上、[販売]の概念の中には、反復的な有償譲渡行為が予想されている。そこで、わいせつ物を数人の者に販売しても、包括的に1個のわいせつ物販売罪が成立するにすぎない。
 したがって、一度に数人の者に対し、わいせつ写真を販売した場合は、包括一罪となる。

■ 保険金取得の目的で放火の後、保険会社を欺いて保険金を交付させた場合、判例の趣旨に照らすと、放火罪と詐欺罪の併合罪となる。

<解説>

 設問の場合には、牽連犯になるのではないかとの見解もある。しかし、判例によれば、54条1項後段の犯罪の手段とは、ある犯罪の性質上、その手段として普通に用いられる行為をいい、犯罪の結果とは、ある犯罪により生ずる当然の結果を意味する。そして、牽連犯と認められるためには、犯人が主観的にその一方を他方の手段又は結果の関係において実行したというだけでは足りず、その罪数間にその性質上、通例手段結果の関係が存在すべきものであることを必要とする。
 設問の保険金取得の目的による放火と、保険会社に対する詐欺行為は、客観的にみて、手段・結果の関係にあるとはいえない。したがって、保険金取得の目的で放火の後、保険会社を欺いて保険金を交付させた場合には、放火罪と詐欺罪の併合罪となる。

■ 殺人をし、その死体を遺棄した場合、判例によれば併合罪の関係が成立する。

<解説>

 牽連犯[54条1項後段]となるためには、その行為が客観的に手段・結果の関係にあることを要する。判例は、殺人罪と死体遺棄罪は、客観的に見て手段・結果の関係にはないと解している。
 したがって、殺人をし、その死体を遺棄した場合、判例によれば併合罪[45条]の関係が成立する。

■ 窃盗教唆をし、その盗品について有償で譲り受けた場合、判例によれば併合罪の関係が成立する。

<解説>

 窃盗教唆罪と盗品有償譲受罪について、判例は牽連犯の関係を否定して併合罪の関係が成立するとしている。窃盗教唆と盗品等有償譲受は、客観的に手段・結果の関係にあるとはいえないことを理由とする。

■ 不法監禁をし、その被害者を恐喝した場合、判例によれば併合罪が成立する。

<解説>

 判例は、不法監禁をし、その被害者を恐喝した場合には、犯罪の通常形態として手段・結果の関係にあるものとは認められないとして、恐喝罪と監禁罪の併合罪が成立するとする。

■ 公務員が職務の執行に当たり、その公務員を殴打して職務の執行を妨げると同時に、公務員に傷害を与えた場合、判例に照らすと、傷害罪と公務執行妨害罪の観念的競合となる。

<解説>

 判例によれば、職務執行中の公務員に暴行を加えて負傷させた場合、公務執行妨害罪と傷害罪の観念的競合となる。
 公務執行妨害罪は、公務を保護法益とし、傷害罪は、人の身体の安全を保護法益とするから両罪が成立し、それが、自然的観察からみて1個の行為から生じているからである。
 したがって、設問の場合、判例の趣旨に照らすと、傷害罪と公務執行妨害罪の観念的競合となる。

■ 酒によった状態で自動車を運転中、運転を誤って人に傷害を負わせた場合、道路交通法違反[酒酔い運転の罪]と業務上過失傷害の罪とは、併合罪の関係にある。

<解説>

 判例は、酒酔い運転行為及び歩行者を死亡させた行為に関して、自動車を運転する行為は、その形態が、通常、時間的継続と場所的移動を伴うものであるのに対し、その過程において人身事故を発生させる行為は、運転継続中の1時点1場所における自象であって、自然的観察からするならば、両者は、酒に酔った状態で運転したことが自己を惹起した過失の内容をなすものかどうかにかかわりなく、社会的見解上別個のものと評価すべきであって、これを1個のものとみることはできない、として酒酔い運転罪と業務上過失致死罪との併合罪の成立を認めている。
 したがって判例の趣旨によれば、設問の、酒に酔った状態で自動車を運転中、運転を誤って人に傷害を負わせた場合には、道路交通法違反[酒酔い運転の罪]と業務上過失傷害の罪とは、併合罪の関係にある。

つづく・・・
ラベル:刑法
posted by 94条2項の類推適用されずじまい at 10:12| Comment(0) | 刑法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月07日

独学院 共犯と身分から

参りましょう。

<共犯と身分>

 「身分犯」とは、行為者に一定の身分のあることが構成要件要素となっている犯罪という。
 「身分」とは、男女の性別、内外国人の別、親族の関係、公務員である資格のような関係だけでなく、すべて一定の犯罪行為に関する犯人の人的関係である特殊な地位又は状態をいう。

 身分犯は、「真正身分犯」と「不真正身分犯」に分類される。

 「真正身分犯」とは、一定の身分にあたることがその成立要件とされている犯罪をいう。
 真正身分犯の典型例は、公務員という身分が要件となっている収賄罪[197条等]である。

 これに対して、「不真正身分犯」とは、身分の有無により刑に軽重のある犯罪をいう。
 不真正身分犯の典型例としては、常習賭博罪[186条1項]がある。

 刑法65条1項は「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯とする。」と規定しているが、同条2項は「身分によって特に刑の軽重があるときは、身分のない者には通常の刑を科する。」と規定している。
 1項は連帯的作用を明示し、2項はそれぞれの関与者の身分に応じた刑を科すという個別的作用を規定する。
 この一見矛盾する両者の関係をいかに合理的に説明するかという点については、争いがある。

≪判例[最判S31.5.24]・通説の立場≫

1項・・・真正身分犯について定めた規定
2項・・・不真正身分犯について定めた規定

[理由]

 65条1項の「犯人の身分によって構成すべき」、同条2項の「身分によって特に刑の軽重があるときは」という文言に忠実に解釈すべきである。

≪有力説≫〜成立と科刑を分離して考える。

1項・・・真正・不真正を問わず、身分犯の「成立」について定めた規定
2項・・・不真正身分犯の「科刑」について定めた規定

 通説・判例の立場[1項・・・真正身分犯、2項・・・不真正身分犯]によると、次のようになる。

≪事例1≫ 公務員ではない妻Bが、公務員である夫Aをそそのかして、その職務に関し、賄賂を収受させた。→収賄罪は「不真正身分犯」の規定であるから、刑法65条1項が適用される。Aには、単純収賄罪[197条1項前段]が成立し、Bには、単純収賄罪教唆罪[197条1項前段・61条1項]が成立する。

≪事例2≫ 常習者ではない妻Bが、常習者である夫Aをそそのかして、賭博をさせた。→常時賭博罪は単純賭博罪の加重類型であって、「不真正身分犯」の規定であるから、刑法65条2項が適用される。Aには、常習賭博罪[186条1項]が成立し、Bには、単純賭博教唆罪[186条・61条1項]が成立する。

<共同正犯にも、65条1項が適用されるか>

 共同正犯にも、65条1項が適用されるか[=刑法65条1項の「共犯」には、共同正犯も含まれるか。]。

≪有力説≫・・・65条1項の「共犯」には、共同正犯は含まれない。
≪判例・通説≫・・・65条1項の「共犯」には、共同正犯も含まれる。

<有力説が65条1項の「共犯」に共同正犯は含まれないと主張するのは何故か>

 刑法65条1項は真正身分犯についての規定である。有力説は、真正身分犯は身分のある者でなければ正犯となりえない犯罪であるから、身分のない者は真正身分犯の共同正犯にもなりえないはずだという考え方に立っている。
 これに対して、判例・通説は、身分のない者であっても、身分のある者の行為を利用することによって、真正身分犯の規定の法益を侵害することができることを理由とする[下記判例参照]

<判例[最判S40.3.30]>

 強姦罪は、その行為の主体性が男性に限られるから、刑法65条1項の「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為」に該当するものであるが、身分のない者も、身分のある者の行為を利用することによって、強姦罪の保護法益を侵害することができるから、身分のない者が、身分ある者と共謀して、その犯罪行為を加功すれば、同法65条1項により、強姦罪の共同正犯が成立すると解すべきである。

※自手犯という概念がある。自手犯とは、本人自らの直接的行為によらなければ成立しない犯罪をいう。偽証罪は「宣誓した証人」でなければ主体となりえないので、これに当たる。自手犯である偽証罪については、宣誓した証人以外の者は主体となりえず、間接正犯や共同正犯にもなりえない。強姦罪は自手犯ではない。


■判例の趣旨に照らすと、女子も強姦罪の共同正犯になり得る。

<解説>

 強姦罪[177条]は、男性という身分があることが犯罪の成立要件とされている真正身分犯である。そこで、女性は強姦罪の共同正犯とはなりえないのではないかという点が、判例で問題となったのである。
 この点、判例は、強姦罪は、その主体が男性に限られるから、65条1項の犯人の身分により構成すべき犯罪に該当するものであるが、身分のない者も、身分のある者の行為を利用することによって、強姦罪の保護法益を侵害することができるから、身分のない者が、身分のある者と共謀してその犯罪行為に加功すれば、65条1項により、強姦罪の共同正犯が成立すると解するべきである。とした。
 したがって、判例の趣旨に照らすと、女子も強盗罪の共同正犯になり得る。


■判例の趣旨に照らすと、公務員の身分を有しない者についても、収賄罪の共同正犯が成立する。

<解説>

 収賄罪1197条等]は、公務員という身分があることが犯罪の成立要件とされている真正身分犯である。
 判例は、65条1項の「共犯」には、教唆犯・幇助犯のみならず共同正犯も含まれるとしたうえで、非公務員が公務員と共謀して公務員の職務に関して賄賂を収受した場合に、65条1項を適用して、非公務員と公務員との間に共同正犯の成立を認めている。
 したがって、判例の趣旨に照らすと、公務員の身分を有しない者についても、収賄罪の共同正犯が成立する。


■ABは、共謀して、Bのみが業務上占有する金員を両名で着服消費した。この場合、判例の趣旨に照らすと、Aは単純横領罪の刑で処断される。

<解説>

 業務性を欠き、占有もない者が業務上横領に加功した事案について判例は、65条1項により業務上横領罪[253条]の共同正犯が成立し、非身分者には同条2項により単純横領罪[252条]の刑を科するとしている。
 これは、業務上横領罪は「占有者」という構成的身分と「業務者」という加減的身分が複合する特殊な形態の犯罪であることを考慮したものと思われる。
 したがって、設問の場合、判例の趣旨に照らすと、Aは単純横領罪の刑で処断される。

<共犯の錯誤>

 正犯者Aが実際に実行した犯罪事実と、他の共犯者[共同正犯者・教唆者又は幇助者]がBの犯罪について表象していたところと一致しない場合を、「共犯の錯誤」という。
 例えば、共犯者Aが「Bは○○罪をするだろう」と表象して共犯行為を行ったにもかかわらず、実際には、Bが△△罪を実行してしまったというような場合である。
 共犯の錯誤にも、単独正犯と同様、「具体的事実の錯誤」と「抽象的事実の錯誤」がある。

 共犯の錯誤も、単独犯の錯誤と同様に、「法的符合説」にしたがって考えればよい。
 
≪錯誤が同一構成要件内にとどまるとき≫→故意は阻却されず、共犯が成立する。
≪錯誤が異なる構成要件にまたがるとき≫→原則として故意は阻却される。ただし、構成要件に重なりあいが認められるときは、重なり合う限度で、共犯が成立する。

 共犯の錯誤には、次のようなものがある。
[1]共同正犯者どうしの間に錯誤があった場合
[2]教唆者・幇助者と被教唆者・被幇助者との間に錯誤があった場合
[3]錯誤が異なる共犯形式間にまたがる場合
[4]錯誤が共犯と間接正犯との間にまたがる場合

[1]共同正犯者どうしの間に錯誤があった場合

@ 錯誤が同一構成要件内にとどまるとき→共同正犯が成立する。

[例] 当初の共謀では、ABは「甲」を殺す計画→しかし、共同行為者Bは「乙」を殺害→ABは殺人罪の共同正犯

A 錯誤が異なる構成要件間にまたがるとき→原則として共同正犯は成立しない。ただし、構成要件が重なり合う場合、その重なり合う範囲内において、共同正犯が成立する。

[例] ABは当初甲から「窃盗」する計画→共同行為者Bは甲に「強盗」→ABは、重なり合う窃盗罪の限度で共同正犯[ただし、Bには、強盗罪の単独正犯も成立]

[2] 教唆者・幇助者と被教唆者・被幇助者との間に錯誤があった場合

@ 錯誤が同一構成要件内にとどまるとき→教唆犯・従犯が成立する。

[例] AはBに「甲」殺害を教唆→Bは「乙」を殺害→Aは殺人教唆罪

A 錯誤が異なる構成要件にまたがるとき→原則として教唆犯・従犯は成立しない。ただし、構成要件が重なり合う場合、その重なり合う範囲内において、教唆犯・従犯が成立する。

[例] AはBに「窃盗罪」を教唆→Bは「強盗罪」を実行→Aは重なり合う窃盗罪の限度で教唆犯となる[=窃盗教唆罪]。

[3]  錯誤が異なる犯罪形式間にまたがる場合

 例えば、AはBと共同して窃盗をするつもりでBに加功したが、客観的には幇助にしか当たらない場合[対等なパートナーのつもりが、実は「パシリ」でしかなかった場合]→罪質の重なり合いが認められるので、軽い形態の共犯が成立する。Aは共同正犯の意図で従犯に当たる行為をとっているので、軽い従犯が成立する。

[4] 錯誤が共犯と間接正犯にまたがる場合

 例えば、「医師Aが何もしらない看護婦Bを利用して患者Cを殺害しようと考え、毒入り注射針をBに与え、Cに注射するよう指示した。しかし、実は、BはAの殺害の意図を知っており、かつ、Cに恨みがあったため、その機に乗じてCを殺害しようと考えて、Bの指示通り、Cに毒入り注射をした。」という場合
 →Bは殺人罪の正犯。Aは、主観的には間接正犯の意図で、客観的には殺人教唆罪に当たる行為をしている。規範的には、間接正犯の故意には、教唆犯の故意が含まれるとして、軽い殺人教唆罪が成立すると解されている。


■ AがBに対して甲宅に侵入して絵画を盗んでくるよう教唆したところ、Bは、甲宅に侵入したが、絵画を見つけることができなかったため、現金を盗んだ。判例の趣旨に照らすと、Aには、住居侵入・窃盗罪の教唆犯が成立する。

<解説>
≪具体的事実の錯誤≫

 設問においては、Aは甲宅に関して住居侵入・「絵画」の窃盗を教唆したところBは甲宅に関する住居侵入・「現金」の窃盗を犯しているが、「絵画」と「現金」はいずれも窃盗罪の客体である「財物」にあたるという点では異ならず、具体的事実の錯誤[同一構成要件間の錯誤]があるにすぎない。判例の採用する法的符合説を前提とすると、具体的事実の錯誤があっても、行為者の故意は阻却されない。
 したがって、教唆者Aの故意は阻却されず、Aには、住居侵入・窃盗罪の教唆犯が成立する。

■ ABは、甲方に盗みに入ることを共謀した。Aには窃盗の意図しかなかったが、Bは最初から強盗行為に及ぶつもりであり、そのことはAには秘していた。犯行に際し、Bが屋内に侵入して甲にナイフを突き付け金員を強取したが、Aは、甲方の玄関先で見張りをしていて、Bの行為を認識していなかった。その後、手に入れた金員を2人で分配した。この場合、判例の趣旨に照らすと、Aは窃盗罪の刑で処断される。

<解説>
≪抽象的事実の錯誤≫

 法定的符合説によると、認識していた犯罪事実と実際に発生した犯罪事実との不一致が異なる構成要件にまたがる場合には、原則として、故意は阻却される。
 ただし、共謀した犯罪の構成要件と実際に発生した犯罪の構成要件とが罪質等の点において実質的に重なり合う場合には、軽い罪の限度で共同正犯が成立する。
 窃盗罪と強盗罪は、ともに他人の財物の占有を侵害するという点で、罪質の重なり合いが認められるので、軽い窃盗罪の限度で共同正犯が成立する。したがって、Aは窃盗罪の刑で処断されることになる。

■ 共犯者の1人が自首した場合でも、それにより他の共犯者について刑を減軽することはできない。

<解説>

 自主とは、犯罪が捜査機関に発覚する前に、犯罪を犯した者が自己の犯罪事実を捜査機関に申告することをいい、刑の任意的減軽事由である。その根拠として、犯罪の捜査及び処罰を容易にするという政策的な理由と、改悛による非難の減少という理由が挙げられている。
 この制度趣旨からすれば、自首による刑の減軽がにとめられるのは、自首をした本人のみであり、共犯者の1人が自首した場合でも、それにより他の共犯者について刑を減軽することはできない。

つづく・・・
ラベル:刑法
posted by 94条2項の類推適用されずじまい at 11:57| Comment(0) | 刑法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月06日

独学院 従犯から

参りましょう。

<従犯>

 「従犯」[「幇助犯」ともいう。]とは、正犯を幇助した者をいう[62条1項]。

 従犯についても、教唆犯と同様、「正犯の実行行為があってはじめて処罰される」と解されている[共犯従属性説]。

 従犯の成立要件は、次の通りである[通説]。

@ 幇助行為の存在

・どのような行為が「幇助」にあたるのか。
・幇助者と被幇助者との間に「意思の連絡」が必要か[「片面的従犯」の問題]

A 被幇助者である正犯が、犯罪の実行に着手したとこ[→≪実行従属性≫の問題]

・被幇助者の行為について、犯罪構成要素のどこまで充たす必要があるのか[→≪要素従属性≫の問題]

<幇助行為>

 「幇助」とは、正犯者でない者が、正犯の実行を容易にする一切の行為をいう。
 幇助の方法には制限がない。犯行資金の援助や犯行に使用する凶器の提供等の有形的・物質的方法でも、激励や助言のような無形的・精神的方法でもよい。

 教唆と精神的幇助とは異なる。教唆は犯罪の決意を有していない者に対して、決意を生じさせるものであるのに対し、精神的幇助は、すでに犯罪の決意をしている者の決意をより強固にするものである。

 幇助行為は、不作為によってもなされ得る。例えば、選挙長が違法投票を目撃しながらこれを制止しなかった場合や、劇場の責任者が、ストリッパーの公然わいせつの演技を目撃しながら、その講演を続行させる場合等、法律上正犯者の犯罪を防止すべき作為義務を有する者がその義務に違反して犯罪を防止しない行為は、不作為による幇助行為といえる。

<片面的従犯>

 片面的従犯とは、幇助者が被幇助者の知らないうちに幇助行為をする場合をいう。
 通説・判例は、片面的従犯を肯定する。
 判例は、Bが賭博場を開帳して利益を得ようとしているのを知ったAが、Bの知らないうちに客のCをBの賭博場に案内して賭博をさせた場合には、賭博開帳幇助罪が成立するとした。

 共同正犯については、共同行為者相互に「意思の連絡」があることが必要とされ、「片面的共同正犯」は認められないと解されていたのに対し、従犯については、幇助者と被幇助者との間に「意思の連絡」のあることを必要としないと解されている。その理由は次の通りである。

[理由]

・「幇助」とは正犯の実行を容易にすることをいうが、そのことは、幇助者と被幇助者との間に「意思の連絡」がなくとも可能である。
・共同正犯の場合、共同行為者が、「すべて正犯」とされるのに対し、従犯は正犯の実行行為に従属して二次的に処罰されるにとどまるのであって、従犯の性格は共同正犯のそれと異なる。
・刑法62条の条文からも、幇助者と被幇助者との間に意思の連絡が必要であるとの趣旨は読み取れない。

※ ただし、精神的幇助については、意思の連絡がなければ正犯の実行を容易にすることはできないので、意思の連絡が必要である[「片面的従犯」は認められない]と解されている。


<従犯のその他の問題点>

 従犯の成立要件として、「幇助行為の存在」のほか、「被幇助者である正犯が実行に着手したこと」を要する[→≪実行従属性≫の問題]。

 被幇助者の行為について、犯罪構成要件のどこまで充たす必要があるのかという問題[→≪要素従属性≫の問題]についても、教唆犯と同様、正犯者の行為が「構成要件該当性」「違法性」の要件を充たしていることを必要とすると解するのが通説である[制限従属性説]。

 従犯を幇助した場合を「間接従犯」という。例えば、AがBを幇助し、さらにBがCを幇助した場合である。間接従犯について、刑法上明文はない。しかし、判例は、これも従犯として取り扱うとした。

※ 安易に間接従犯の成立を認めると、処罰範囲が不当に拡大してしまう。そこで、有力な学説は、Aが間接従犯として処罰されるのは、AのBに対する幇助が、実質的にみて正犯者Cの実行行為を容易にしたと認められる場合に限られると解している。

つづく・・・
 
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2012年02月05日

独学院 要素従属性から

ささ、参りましょう。

<要素従属性>

 要素従属性とは、教唆犯・幇助犯が成立するためには、正犯の行為は犯罪成立要件のうち、どの要素を充たしている必要があるのかという問題である。「従属性の程度」の問題である。

 この問題については、次の四つの見解がある。

≪最小従属性説≫ 「構成要件該当性」があれば足りる。
≪制限従属性説≫ 「構成要件該当性」「違法性」を要する。
≪極端従属性説≫ 「構成要件該当性」「違法性」「有責性」を要する。
≪誇張従属性説≫ 「構成要件該当性」「違法性」「有責性」「処罰条件」を要する。

 Aが12歳の少年Bをそそのかして、スーパーで万引きをさせた。Bは「刑事未成年者」であって刑事責任能力が認められないから、Bの行為は窃盗罪の構成要件該当性・違法性の要件を充たすものの、有責性の要件を充たさない。よって、B自身に犯罪は成立しない。
 問題は、Aに窃盗教唆罪が成立するかである。
 「極端従属性説」および「誇張従属性説」によると、正犯Bが「有責性」の要件を充たしていなので、Aには、窃盗教唆罪は「成立しない」ことになる。
 「最小従属性説」および「制限従属性説」によると、Aには、窃盗罪の教唆犯が成立することになる。

 以上の見解のうち、制限従属性説説が通説とされている。「違法性は正犯と共犯との間で連帯的に作用し、責任は個別的に作用する」という考え方にもとづく。

 かつての判例は、極端従属性説を採用していると解されていた。しかし、近時は制限従属説を採用する方向にあると解されている。※

※ 61条1項は、「教唆して犯罪を実行させた」と規定するが、この「犯罪」とは何を指すのかという解釈にかかわる。

■ 「教唆犯が成立するためには、正犯の行為が構成要件に該当し、かつ、違法・有責であることを要する。」との説の帰結としては、心神耗弱者が殺人を犯したが、正当防衛に当たる場合、その殺人をそそのかした者につき、殺人教唆罪の成立を認めないことになる。

<解説>

≪極端従属性説による帰結〜正犯行為に違法性が欠ける場合≫

 心神耗弱者が殺人を犯した場合、その行為は殺人罪[199条]の構成要件に該当する。しかし、その行為が正当防衛に当たる場合には、違法性が阻却される[36条1項]。
 したがって設問の見解からすれば、心神耗弱者が殺人を犯したが、正当防衛に当たる場合、その殺人をそそのかした者につき、殺人教唆罪の成立を認めないことになる。

■「教唆犯が成立するためには、正犯の行為が構成要件に該当し、かつ、違法・有責であることを要する。」との説の帰結としては、医師が病気の子どもの開腹手術を行った場合、これを依頼した親について、傷害教唆罪の成立は認められないことになる。

<解説>

≪極端従属性による帰結〜正犯行為に違法性が欠ける場合≫

 医師が病気の子供の開腹手術を行った場合も、傷害罪[204条]の構成要件には該当する。しかし、医学上相当な方法により行われている限り、正当業務行為[35条]として違法性が阻却される。
 したがって、設問見解によれば、医師が病気の子供の開腹手術を行った場合、これを依頼した親について、傷害教唆罪の成立は認められない。

■「教唆犯が成立するためには、正犯の行為が構成要件に該当し、かつ、違法・有責であることを要する。」との説の帰結としては、是非弁識能力が十分に認められる13歳の子供が盗みをした場合、これをそそのかした者につき、窃盗教唆罪の成立を認めないことになる。

<解説>

≪極端従属性説による帰結〜正犯者が刑事未成年者である場合≫

 是非弁識能力が十分に認められる13歳の子供が盗みをした場合、その行為は窃盗罪[235条]の構成要件に該当し、かつ違法性を有する行為である。
 しかし、現行刑法は、各人の有する実際の能力に関わらず、14歳未満の者を一律に責任無能力として不可罰としている[41条]。
 したがって、設問の13歳の子供には刑法上責任がなく、設問の見解によれば、この者に盗みをそそのかした者につき、窃盗教唆罪の成立を認めることはできない。

■「教唆犯が成立するためには、正犯の行為が構成要件に該当し、かつ、違法・有責であることを要する。」との説の帰結としては、心神耗弱者が盗みをした場合、これをそそのかした者につき、窃盗教唆罪の成立を認めることになる。

<解説>

≪極端従属性説による帰結〜心神耗弱者に対する教唆≫

 心神耗弱者とは、「精神の障害により事物の理非善悪を弁識する能力」、または「この弁識に従って行動する能力」が著しく減退している者をいう。
 心神耗弱者には責任が認められる。ただ、責任能力が著しく減退していることにより、軽い責任避難しかできないので、刑の必要的減軽が認められるのである。[39条2項]。
 したがって、心神耗弱者が盗みをした場合、その行為は窃盗罪[235条]の構成要件に該当し、違法かつ「有責」な行為である。設問見解によれば、心神耗弱者が盗みをした場合、これをそそのかした者につき、窃盗教唆罪の成立を認めることになる。

■「教唆犯が成立するためには、正犯の行為が構成要件に該当し、かつ、違法・有責であることを要する。」との説の帰結としては、刑事責任能力のある者が実父の金員を盗んだ場合、これをそそのかした者について、窃盗教唆罪の成立を認めることになる。

<解説>

≪極端従属性説による帰結〜正犯者が処罰条件を欠く場合≫

 刑事責任能力のある者が実父の金員を盗んだ場合、その行為は、窃盗罪[235条]の構成要件に該当する違法かつ有責な行為である。ただ、実父の金員をその子供が盗んだ場合には、親族間の犯罪の特例[244条]によって、刑を免除されるにすぎない。
 したがって、設問見解によれば、刑事責任能力のある者が実父の金員を盗んだ場合、これをそそのかした者について、窃盗教唆罪の成立を認めることになる。

<再間接教唆>

 教唆者を教唆した者も、教唆犯と同様に扱われる[61条2項]。これを「間接教唆」という。間接教唆者を教唆した者「いわゆる「再間接教唆者」]については、刑法上明文はないものの、教唆犯として処罰されるとするのが判例である。

≪出題例≫

 ABCDは、いずれも甲に対して恨みを持っていたが、BCD3名は、甲に対する殺意までは抱いていなかった。甲の殺害を願っていたAは、Bに対して甲を殺害するようにそそのかしたが、これを受けたBは自ら実行せず、Cに対して、甲の殺害をそそのかした。しかし、Cも、Bと同様、自ら実行せずに、Dに対して甲の殺害をそそのかした結果、Dがその決意をして甲を殺した。この場合、判例の趣旨に照らすと、Aは殺人教唆罪として処断される。→Bは「間接教唆」、Aは「再間接教唆」となる。いずれも、教唆犯として処罰される。

<教唆犯の処分>

[1] 教唆犯に対しては「正犯の刑を科する」とされている[61条1項]。
 この「正犯の刑を科する」とは、正犯の行為に適用すべき「法定刑」の範囲内において処罰されるという意味だと解されている。正犯の刑に教唆犯の刑が従属するという意味ではない。
 教唆者に対する刑の量刑は、正犯者のそれに従属するというわけではなく、正犯者のそれから独立して行われる。そのため、正犯者は処罰されないが教唆犯は処罰されるという場合もある。

[2] 拘留又は科料のみに処すべき罪の教唆者及び従犯は、特別の規定がなければ、罰しないとされる[64条]。
 「拘留又は科料のみに処すべき罪」はその罪質が軽微であるから、その教唆犯及び従犯は、その罪質が更に軽微であることによる。「特別の規定」の例としては、軽犯罪法3条がある。

≪出題例≫

 法定刑が罰金刑のみの罪についても、その教唆・幇助は処罰される。

つづく・・・
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2012年02月04日

独学院 教唆犯から

こんばんは、参りましょう。

<教唆犯>

 「教唆犯」とは、人を教唆して犯罪を実行させた者をいい、「正犯の刑」が科される[61条1項]。「教唆犯を教唆」することを、「間接教唆」といい、教唆犯と同様に扱われる[61条2項]。

 狭義の共犯「教唆犯・従犯」については、その犯罪性をいかに解するかをめぐって、基本的な考え方の違いがある。
 「共犯は、正犯からは独立した共犯行為独自の犯罪性ゆえに処罰することができる」と考える立場[「共犯独立性説」という。]と、「共犯行為自体にも犯罪性は認められる。しかし、その犯罪性は、正犯者が実行行為を行うことによって、はじめて現実化し、可罰的となる。共犯の犯罪性は、第2次的なものである。」と考える立場[「共犯従属性」という。]とがある。

<共犯の従属性>

 共犯の従属性には、「実行従属性」「要素従属性」「罪名従属性」の3つの問題がある。主として問題となるのは教唆犯においてではあるが、理論的にはすべての共犯に共通する問題であるとされる。

≪実行従属性≫

 教唆犯は、教唆された者つまり正犯が実行に着手したときに、はじめて処罰されるのか、それとも、教唆者は正犯が実行しなくとも教唆しただけで処罰されるのか。

≪要素従属性≫

 教唆犯が成立するためには、正犯は、犯罪を構成する要素[構成要件該当性〜責任、処罰条件など]のすべてをそろえていなければならないのか、あるいは、その内のどこまでをそろえていなければならないのか。

≪罪名従属性≫

 教唆犯と正犯とは同じ罪名であることを必要とするのか。「共犯と錯誤」で学習する。


<実行従属性>

 教唆者は、教唆された者つまり正犯が実行に着手した時に、はじめて処罰されるのか、それとも、教唆者は正犯が実行しなくとも教唆しただけで処罰されるのか。

 この問題に関しては、「共犯従属性説」と「共犯独立性」が対立する。

≪共犯独立性説≫・・・教唆行為がなされれば、正犯が実行に着手しなくとも、教唆犯は処罰される。

≪共犯従属性説≫・・・正犯が実行に着手したときにはじめて教唆犯も処罰される。

 共犯独立性説は、「共犯は、正犯からは独立した共犯行為独自の犯罪性ゆえに処罰することができる」と考える。
 共犯従属性説は、「共犯行為自体にも犯罪性は認められる。しかし、その犯罪性は、正犯者が実行行為を行うことによって、はじめて現実化し、可罰的となる。共犯の犯罪性は、第二次的なものである。」と考える。

 共犯従属説が通説であり、判例も、従属性説の立場を当然の前提にしていると解されている。

★ 61条1項は、「人を教唆して犯罪を実行させた」と規定し、62条1項が、「正犯を幇助した者」と規定している。共犯従属性説は、このことから、共に正犯が実行に着手していることを前提とした規定であることは明らかだとする。

<教唆犯の成立要件と問題点」

 教唆犯の成立要件は、次の通りである[通説]。

@ 教唆行為の存在

・どのような行為が「教唆」にあたるのか。
・教唆者の「教唆の故意」の内容をいかに解するのか。

A 教唆行為によって被教唆者が犯罪を犯すことを決意し、犯罪の実行に着手したこと[→≪実行従属性≫の問題]

・被教唆者の行為について、犯罪構成要素のどこまで充たす必要があるのか[→≪要素従属性≫の問題]

<要件1〜教唆行為>

 「教唆」とは、正犯をそそのかして犯罪を実行する決意を生じさせることをいう。
 その手段や方法についての制限はない。暗示的なものであってもよい[大判S9.9.29]。

 教唆は、被教唆者に特定の犯罪を実行する決意を生じさせることを要するから、単に「犯罪をせよ」と言うだけでは教唆とはならない。しかし、日時・場所・方法等を具体的に特定して指示することは不要である。[大判T5.9.13]

<教唆の故意と「未遂の教唆」>

 教唆犯が成立するためには、教唆者に「教唆の故意」が認められることが必要である。
 「教唆の故意」の内容として、@「被教唆者に実行行為をさせること」の認識で足りると解するか、A「被教唆者に実行行為をさせること」だけでなく、「被教唆者の行為によって結果が発生すること」の認識まで必要と解するか、争いがある。

 この@Aのいずれの考えたかに立つかにより結論が異なるのは、「未遂の教唆」が処罰されるかという問題である。
 「未遂の教唆」とは、教唆者がはじめから未遂に終わらせるつもりで教唆行為を行う場合をいう。例えば、Yのポケットに財布が入っていないことを知りつつ、XにYのポケットから「スル」よう、そそのかす場合である。

≪@実行行為を行わせることの認識で足りると解する立場≫

 「未遂の教唆」においては、教唆者は、被教唆者をはじめから未遂に終わらせるつもりであったが、それでも被教唆者に「実行行為を行わせることの認識」はある。よって、教唆者に「教唆の故意」が認められる。

≪A正犯の行為によって結果が発生することの認識まで必要と解する立場≫

 未遂の教唆においては、教唆者は、被教唆者をはじめから未遂に終わらせるつもりであって、結果を発生させることの認識を欠く。よって、教唆者に「教唆の故意」は認められない。

<要件2〜被教唆者が実行に着手すること>

 教唆犯が成立するための2番目の要件としては、「教唆行為によって被教唆者が犯罪を犯すことを決意し、犯罪の実行に着手したこと」が必要である。教唆行為をしても、被教唆者が実行に出なかったとき」、または、「被教唆者が教唆行為と無関係に実行に着手した場合などのように、「被教唆者の実行行為と教唆行為との因果関係が存在しないとき」は、教唆犯は成立しない[最判S25.7.11]。

<教唆犯の出題例>

 AがBに対して甲宅に侵入して金品を盗んでくるよう教唆したところ、Bは、甲宅に人がいたので、甲宅に侵入することをあきらめたが、その後、金品を盗もうと新たに思い付き、乙宅に侵入して金品を盗んだ。判例の趣旨に照らすと、この事例のAには、住居侵入・窃盗罪の教唆犯は成立しない。

 AがBに対してそそのかしたのは、「甲宅」に対する住居侵入・窃盗であるが、Bは「甲宅」に対する犯行についてはあきらめており、その後、「金品を盗もうと新たに思い付いて」別の「乙宅」に対する住居侵入・窃盗行為を実行している。Aによる教唆行為とBの実行行為との間には、因果関係が認められない。

<教唆の未遂>

 共犯従属性と共犯独立性とで結論が分かれている。
 「教唆の未遂」とは、教唆行為がなされても、被教唆者が犯罪の実行に着手に至らなかった場合である。
 例えば、AがBにCを殺害するようそそのかしたものの、Bがこれを許否したり、あるいは、C殺害の意思を生じたものの未だ実行していない場合である。

≪共犯独立性説≫→教唆したAは、「殺人教唆の未遂」として処罰される。
≪共犯従属性説≫→教唆したAは、処罰されない。

<これまでの整理>

≪事例1≫ Aは、甲のポケットの財布から「スリ」をするよう、Bを教唆した。Aの教唆行為によって、Bは「スリ」を決意し、甲のポケットにそっと手を突っ込んだ。しかし、甲のポケットの財布には、お金が入っていなかったため、Bは何も「スル」ことができなかった。→ Bは、窃盗未遂犯罪の正犯となる。Aは、窃盗未遂罪の教唆犯となる。仮に、Aが「甲の財布には金銭は全く入っていないことを知っており、Bが『スリ』を行っても、失敗に終わるであろう」と考えていたとしても、結論は異ならない[「未遂の教唆」の問題]。

≪事例2≫ Aは、甲のポケットの財布から「スリ」をするよう、Bを教唆した。しかし、Bは、そのような悪いことはできないと主張して断固拒否し、「スリ」を行わなかった。 → Bには、当然、犯罪は成立しない。共犯従属性説に立つと、Aにも犯罪は成立しない[「教唆の未遂」の問題]。

つづく・・・
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2012年02月03日

独学院 予備罪の共同正犯から

今日も寒い。参りましょう。

<予備罪の共同正犯>

 予備罪の共同正犯とは、意思を連絡して予備行為を共同して行うことをいう。

≪事例≫

 Aは、甲殺害を計画していたBから、青酸カリの入手を依頼された。Aは、それが殺人の手段として用いられるであろうことを認識しながら、青酸カリを入手してBに与えたものの、Bは殺人の実行に出なかった。

 この場合、Aには、殺人予備罪の正犯が成立する。問題は、Bにいかなる犯罪が成立するのかである。このような事例において、判例は、AとBには殺人予備罪の共同正犯が成立するとした。

≪問題点≫

 犯罪共同説によると、共同正犯が成立するためには、「実行行為」を共同することが必要である。「実行行為」を厳格に捉えると、予備行為はそれに当てはまらないので、予備罪の共同正犯は認められないことになる。

≪否定説≫〜実行行為概念を厳格に解する考え方

 実行は未遂の段階で初めて問題となることから、未遂の前段階である予備に関して「実行」が問題となる余地はなく、したがって、予備罪の共同正犯が成立する余地はないことになる。

※ 43条の「実行」と60条の「実行」は、同一に理解するべきである。

≪肯定説≫〜実行行為概念を相対的に解する考え方

 未遂犯成立のための実行行為概念[43条の「実行」は「処罰時期」を確定するための概念であり、共犯成立の前提となる実行行為概念[60条の「実行」は「処罰範囲」を確定するための概念であるとして、両者の「実行」概念の相対性を認めた上で、予備罪についても、構成要件の修正形式としての実行行為を観念することができる。

※ 43条の「実行」と60条の「実行」は、同一でなくともよい。

■ Aは、甲を殺害する意思を持っていたBから、その真意を打ち明けられて甲殺害のための毒薬の入手方を依頼され、これに応じて毒薬をBに手交したが、Bは、その後、甲の殺害を思いとどまり、その毒薬を廃棄した。この場合、判例の趣旨に照らすと、Aは殺人予備罪の刑で処断される。

<解説>

 判例は、殺害目的で使用することを知りながら、毒物を交付したところ、交付された者が殺人を実行せずに殺人予備罪に終わった場合、交付者には殺人予備罪の共同正犯が成立するとする。
 しがたって、判例の趣旨に照らすと、設問のAは殺人予備罪[201条]の刑で処断される。

≪共謀共同正犯≫

 共謀共同正犯とは、2人以上の者が一定の犯罪を実行することを共謀し、その共謀者の一部の者が共謀に基づき犯罪を実行した場合には、自らは直接実行に出なかった者も含めて、共謀者全員に犯罪正犯が成立するというものである。

 共同正犯の構成要件は「共同実行の意思」と「共同実行の事実」であるが、共謀者のうち実行行為の一部を「共同実行の事実」があると言えるためには、共同行為者全員が実行行為の一部を分担する必要があるかという問題である。

 いわゆる「黒幕」と呼ばれる人物は、犯罪計画を主導しつつも、自らは直接実行行為を行わず、手下に手を下させるということが多い。仮に共謀共同正犯を認めないと、直接実行行為を行った手下は「正犯」となるものの、黒幕は「教唆犯」にとどまるという結果になる。共謀共同正犯の考え方は、犯罪を直接実行した者の背後にいて重要な役割をはたしている黒幕を正犯として処罰するために登場した考え方である。

 判例は、一貫して共謀共同正犯を肯定してきた。首謀者A他多数が、練馬警察署の巡査甲の襲撃を計画し、B以下数名が甲を襲撃して傷害を加え、まもなく現場で甲を死亡させたという事案において、直接的には襲撃に参加しなかった首謀者Aにも、傷害致死罪の正犯としての罪責を負わせた。

■ 数人が順次に連絡しあうことによって、共通した犯罪意思を形成する形態の共謀についても、共謀共同正犯理論は、適用される。

<解説>

 判例は、数人の共謀共同正犯が成立するためには、その数人が同一場所に会し、かつその数人間に1個の共謀の成立することを必要とするものではなく、甲と乙が共謀し、次いで乙と丙が共謀するというようにして、数人の間に「順次共謀」が行われた場合は、これらの者のすべての間に当該犯罪の共謀が行われたと解するを相当とする。としている。
 したがって、数人が順次に連絡しあうことによって、共通した犯罪意思を形成する形態の共謀についても、共謀共同正犯理論は、適用される。

<共謀関係からの離脱>

 「共謀関係からの離脱」とは、犯罪の共謀に加わった者が、翻意して犯罪をやめたいと思った場合、既に形成された共謀関係から離脱※することができるかという問題である。
 基本的には、他の共謀者による「実行着手前の離脱」か、他の共謀者による「実行着手後の離脱」かに分けて考えるべきだと解されている。

※ ここでいう「離脱」の意味について

 例えば、ABが強盗の共謀をしたとしても、その共謀に基づいてBが強盗を実行し財物を奪取したとすると、みずから直接実行していないAも、強盗罪の共犯としての罪責を負う(いわゆる「共謀共同正犯」)。
 ここでのAの「離脱」が認められると、それ以後にBが単独で強盗を実行したとしても、Aは、もはや既遂・未遂を問わず、罪責を負わないということになる。

≪事例≫

 A、B及びCは、刀で切りつける手段による甲の殺害を共謀した。しかし、Aは、人を殺すのが怖くなって、「殺し」は止めたいと考えている。

@実行着手前の離脱

 「離脱の意思を他の共謀者に表明し、その了承を得さえすれば」、離脱が認められる。

<例> Aは、甲殺害を実行に移す前に、Bにやっぱり止めたい旨を伝え、その了承を得たとすると、その後にBが単独で甲殺害を実行したとしても、Aには、もはや殺人罪の共謀共同正犯は成立しない[離脱OK]。

 ただし、「共謀者団体の頭領であった者」は、離脱の意思を表明するだけでは足りず、共謀がなかった状態に復元することが必要であると解されている。

 実行計画を発案したり、凶器を用意するなどした「リーダー格」の者であれば、単に「離脱の意思の表明」「他の共同者の了承」を得ただけでは、他の共同者に対する影響力を完全に除去したとは言えず、共謀関係を解消したことにならないからである。例えば、他の共同者らに実行継続を止めさせて立ち去らせるとか、用意した凶器を取り上げるなどの行為が必要である。

A実行着手後の離脱

 離脱の意思を表明し、他の共謀者の了承を得るだけでなく、積極的な結果防止行為によって、他の共謀者の行為継続を困難にして、当初の共謀に基づく実行行為が行われないようにする必要があると解されている。

<例> 当初の共謀の通り、AとBは刀で甲に切りつけたものの、甲はうまく身をかわしたため、カスリもしなかった。この時点で、Aは、人殺しが恐ろしくなって、離脱したくなった。この場合、Aは、単に離脱の意思を表明するだけでは足りず、Bのもつ刀を取り上げるなどしてBの殺害行為継続を阻止する必要がある。

つづく・・・
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2012年02月02日

独学院 過失犯の共同正犯から

参りましょう。

<過失犯の共同正犯>

≪事例≫

 古い住宅を解体作業中のAとBが屋根瓦を地上に落していたところ、落とした瓦の1つがたまたま付近を通りかかった通行人Cの頭に当たり、Cに大けがをさせてしまった。

 従来、「犯罪共同説→過失犯の共同正犯を否定、行為共同説→過失犯の共同正犯を肯定」という図式で捉えられてきた。しかし、現在では、犯罪共同説からも、過失の共同正犯を肯定する見解が登場している。

≪否定説[犯罪共同説から]≫

 犯罪共同説は、共同正犯が成立するためには「共同実行の意思」[つまり、特定の構成要件に該当する行為を共同で実行する意思→「故意」の共同]、「共同実行の事実」が必要であるとする。犯罪的結果発生についての『無意識」を本質とする過失犯には「共同実行の意思」が認められない。上記のABには、犯罪を行うことについての意思の連絡はない。したがって、過失犯の共同正犯は認められない。

≪肯定説[行為共同説から]≫

 行為共同説は、共同正犯が成立するためには「行為」「因果関係」の共同が認められればよいとする。上記のABには、屋根瓦を落とすという「行為」についての意思の連絡は認められる。したがって、「無意識」を本質とする過失犯にも、共同正犯の成立を肯定することができる。

≪肯定説[犯罪共同説]≫

 過失の実体は、「結果を認識・予見することができたのに、認識・予見しなかったという心理状態」[「無意識」的部分]にあたるのではなく、「社会生活一般に要求される結果回避行為を怠ったという結果回避義務違反」[意識的部分]にある[「新過失論」]。
 共同行為者に対して法律上「共同の注意義務」が課せられており、行為者らがその「共同の注意義務」に共同で違反し、犯罪的結果を発生させたと認められる場合には、過失犯の共同正犯が認められる。
 「共同の注意義務」がある場合とは、各人がみずからの行為によって犯罪的結果を発生させないというだけでなく、他の共同者にも犯罪的結果を発生させないようにする注意義務が課せられている場合のことである。

 判例も、過失犯の共同正犯を肯定している。共同して飲食店を経営していたA・Bが過失により法定の除外量以上のメタノールを含有する液体を販売した事案において、両名が意思を連絡してこの液体を販売したのであるならば、有毒飲料物等取締令4条1項後段「過失犯」の共同正犯が成立するとした。


■ 過失犯の構造に関し、結果を認識し、又は予見しなかった心理状態に過失の実態があると解すると、過失犯の共同正犯は否定しやすいが、過失犯の客観的な行為態様そのものに着目する見解に立つと、過失犯の共同正犯は肯定しやすい。

<解説>

 過失犯の構造について、結果を認識し、又は予見しなかった心理状態に過失の実態があると解すると、そのような無意識的な心理状態を共同して実行するということは考え難いので、過失犯の共同正犯は否定しやすい。
 これに対して、過失犯の客観的な行為態様そのものに着目する見解に立つと、過失犯においても、そのような客観的な行為を共同して実行することは可能と考えられるから、過失犯の共同正犯は肯定しやすいことになる。


■ 共犯の本質は犯罪を共同にすることであると解しても、過失犯についても客観的注意義務に反した危険な行為という実行行為が存する以上は、これを共同にする意思と事実が認められる場合には、過失犯の共同正犯を肯定することができる。

<解説>

 設問の見解は、共犯の本質は犯罪を共同にすることであると解する犯罪共同説である。
 犯罪共同説を採用する多くの立場は、共同正犯が成立するためには共同者各自が犯罪事実について共同意思を有する必要があるが、過失犯は無意識に基づくことを本質とするので、相互了解としての共同意思はありえず、過失犯の共同正犯は認められないと主張する。
 しかし、犯罪共同説の見解に立ったとしても、過失犯についても客観的注意義務に反した危険な行為という実行行為が存するという点を重視すれば、この実行行為を共同することは可能であると考えることができる。
 したがって、共犯の本質は犯罪を共同にすることであると解しても、過失犯についても客観的注意義務に反した危険な行為という実行行為が存する以上は、これを共同にする意思と事実が認められる場合には、過失犯の共同正犯を肯定することができる。

<結果的加重犯の共同正犯>

 結果的加重犯とは、基本となる故意行為[基本行為]によって重い法益侵害の結果が生じた場合に、その重い結果を重視して刑が加重される犯罪類型をいう。傷害致死罪[205条]がその典型である。

 判例は、大審院の時代からほぼ一貫して、結果的加重犯が成立するためには、重い結果の発生につき行為者に過失又は予見可能性は不要として、基本行為と重い結果との間に条件関係が認められることをもって足りるとしている。

 この点について、判例は、共同正犯の場合にも同様に解している。すなわち、基本行為について共謀があれば、その共謀の範囲を超えて重い結果が発生しても、基本行為とその重い結果との間に条件関係が認められる限り、共謀者全員に結果的加重犯の共同正犯が成立するとしている。

■ ABは、甲に対して暴行を加えることを事前に共謀し、両名で甲の部屋に赴き、かねて謀議のとおり、甲が逃走できないようにAが部屋の出入口をふさぎ、Bが甲の顔面を殴打したところ、甲は脳内出血を起こして死亡した。この場合、判例の趣旨に照らすとAは、傷害致死罪の刑で処断される。

<解説>

 結果的加重犯について、判例は、基本行為について共謀があれば、その共謀の範囲を超えて重い結果が発生しても、基本行為とその重い結果との間に条件関係が認められる限り、共謀者全員に結果的加重犯の共同正犯が成立するとしている。
 設問のABには傷害致死罪という結果的加重犯の基本犯である暴行罪についての共謀が認められ、その基本的行為である暴行と死という重い結果との間には条件関係が認められる。
 したがって、判例の趣旨に照らすと、ABには傷害致死罪の共同正犯が成立するので、Aは、傷害致死罪の刑で処断される。

つづく・・・
 
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2012年02月01日

独学院 共犯の意義・種類から

ささ、参りましょう。

<共犯の意義・種類>

 「共犯」の意義は、極めて多義的である。
 最も広い意味では、2人以上の行為者が、共同して犯罪を実行する場合をいう。この意味における共犯は、「任意的共犯」と「必要的共犯」とに分けられる。

 「必要的共犯」とは、刑罰法規上、2人以上の者の共同の犯行を予定して定められた犯罪をいい、さらに「対向犯」と「多衆犯」とに分けられる。
 「対向犯」とは、犯罪の成立上、同一の目標に向けられた多衆の共同行為が必要とされるものであり、その集団的・群集心理的特質を考慮して、関与者の処罰は、関与の態様、程度に応じて段階づけられている。内乱罪[77条]、騒乱罪[106条]等がこれにあたる。

 「任意的共犯」とは、法律上、単独犯として予定されている犯罪を、2人以上の行為者が共同して行う場合をいう。共同正犯[60条]、教唆犯[61条]、従犯[幇助罪][62条・63条]がそれである。これらのうち、教唆犯及び従犯を狭義の共犯といい、これに共同正犯を加えて広義の共犯という。
 刑法60条以下の共犯規定は、任意的共犯を処罰の対象とするための規定。必要的共犯にも適用されるのかについては、争いがる。

<共犯の処罰根拠≫

 共犯が処罰される根拠をいかに説明するか。

≪責任共犯論≫

 共犯が処罰される根拠を、正犯に、構成要件に該当し、違法であり、有責な行為を行わせた[=正犯者を堕落させて有責で処罰される状態に陥れた]ことに求める見解

≪違法共犯論≫
 
 共犯が処罰される根拠を、正犯に、構成要件に該当し、違法な行為を行わせたことに求める見解

≪因果的共犯論≫

 共犯が処罰される根拠を、正犯の行為を介して法益侵害を「みずから」惹起したことに求める見解


<共同正犯>

 刑法60条は、「二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。」と定めている。これを「共同正犯」という。
 共同正犯の要件は、「共同実行の意思」と「共同実行の事実」である。

・「共同実行の意思」とは、2人以上の行為者相互間に、特定の構成要件該当行為を共同して行うという意思の連絡があることをいう。

・「共同実行の事実」とは、2人以上の行為者が特定の構成要件該当行為を分担して行ったという客観的事実のことである。例えば、「A→実行行為の一部、B→実行行為の一部」、「A→全部、B→一部」、「A→全部、B→全部」であっても、共同実行の事実があったと認められる。

 共同正犯が成立すると、「すべて正犯とする」とされる。これは共同して実行した犯罪について、共同者全員が正犯者としての犯罪を負うことを意味する。このように共同正犯においては、犯罪の実行行為の一部を行えば、発生した結果の全部について責任を負わなければならない。これを「一部実行全部責任の原則」という。

<共同正犯の「一部実行全部責任」の意味について>

≪事例1≫

 XとYが共に甲を殺害しようと考えて、全く偶然に、ピストルを同時発射したところ、Yの弾丸は甲に当たらなかったが、Xの弾丸が甲に命中し、甲を死亡させた。

≪事例2≫

 XとYが共に甲を殺害しようと考えて、まったく偶然に、ピストルを同時発射したところ、どちらの撃った弾丸かはわからないが、そのうちの一つが甲に命中し、甲は死亡た。

≪事例3≫

 XとYが共同して甲を殺害する計画を立て、それぞれが甲に向かってピストルを発射したところ、Xの弾丸は甲に当たらなかったが、Yの弾丸が甲に命中し、甲を死亡させた。

≪事例4≫

 XとYが共同して甲を殺害する計画を立て、それぞれが甲に向かってピストルを発射したところ、どちらの撃った弾丸かはわからないが、そのうちの一つが甲に命中し、甲は死亡した。

≪事例1≫≪事例2≫は、XとYに意思の連絡がなく「共同実行の意思」が認められないので、共同正犯は成立しない。≪事例3≫と≪事例4≫は、「共同実行の意思」「共同実行の事実」が認められるので、共同正犯が成立する。

≪事例1≫・・・弾丸を当てたXだけが殺人既遂罪の罪責を負う。外したYは殺人未遂罪にとどまる。

≪事例2≫・・・どちらの撃った弾丸が当たって甲を殺害したのかは不明。それぞれの行為と甲の殺害との間の因果関係が明らかではないので、殺人既遂罪はどちらにも成立しない。両者とも、殺人未遂罪にとどまる。

≪事例3≫・・・弾丸を当てたXだけでなく、外したYも殺人既遂罪の罪責を負う。

≪事例4≫・・・どちらの撃った弾丸が当たって甲を殺害したのかは不明。しかし、XY共に殺人既遂罪の罪責を負う。

<一部実行全部責任の根拠>

 なぜ共同正犯には、一部実行全部責任が認められるのか。それは、2人以上の者が実行行為を分担することによって、相互に利用補充し合うことによって犯罪を実行したと認められるからである。
 犯罪者の側からみると、どんな犯罪でも2人以上の者がチームプレーで役割を分担して互いに協力し合った方が成功率が高いし、多大な成果を挙げることができる。その分、重い「正犯」の責任を負ってもやむを得ないというわけである。

<共同実行の意思>

 共同正犯の要件は、「共同実行の意思」と「共同実行の事実」であり、このうち「共同実行の意思」とは、2人以上の行為者相互間に、特定の構成要件該当行為を共同して行うという意思の連絡があることをいう。

 したがって、例えば、「AとBがたまたま同時にピストルを撃ったが、両者には、まったく意思の連絡がない場合」には、「共同実行の意思」が認められず、共同正犯は成立しない[重要ポイント]。

 それでは、「Aには共同実行の意思はなかったが、Bの方には共同実行の意思が認められる」という場合はどうか。
 「Aが甲を殺害しようとしてピストルを発射したが、実はBも甲を殺害しようと考え、2人同時にピストル発射した。AはBのことを知らず、単独で実行する意思であったが、Bの方はAと共同して実行するつもりであった」、ABに共同正犯は成立するか。これが「片面的共同正犯」の問題である。

<片面的共同正犯>

 片面的共同正犯とは、共同者の間において客観的な実行行為の共同の事実は存在するが、共同実行の意思が一方にだけ存在し、他方には存在しない場合をいう。

 例えば、XがYに暴行を加えようとしていたところ、AがXの知らない間にYを押さえつけていたので、Xに暴行を加えることができたというような場合である。

 共同正犯に一部実行全部責任が認められるのは、行為者各自が相互に利用補充しあって、協力して犯罪を実現したと認められるからである。「意思の連絡」を欠けば、この相互利用補充関係は認められない。
 したがって、片面的共同正犯は認められないと解されている。[否定説・・・通説・判例]

つづく・・・
 
 
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2012年01月31日

独学院 不能犯から

こんばんは、参りましょう。

<不能犯>

 不能犯とは、行為者が、本来、犯罪を完成させる危険性を含んでいない行為によって、犯罪を実現しようとする場合をいう。不能[犯]と呼ばれているが、犯罪ではなく、不可罰とされる。
 例えば、いわゆる「丑の刻「[うしのこく]参り」によって、人を呪い殺そうとするような場合である。

<なぜ「未遂犯→可罰、不能犯→不可罰」とされるのか>

 不能犯は、行為者としては犯罪を実現する意思を持って当該行為を行ったが、その行為の性質上、犯罪事実の現実的危険性が極めて希薄であるため、実行の着手すら認められず、未遂犯にもならない場合である。現行法上明文規定はないが、不可罰と解されている。
・未遂犯・・・行為に法益侵害の結果発生の現実的危険性が含まれる→実行行為性肯定
・不能犯・・・行為に法益侵害の結果発生の現実的危険性が含まれない→実行行為性否定

※ 方法の不能と客体の不能

 不能犯には、「方法の不能」と「客体の不能」とがある。
 おもちゃのピストルで人を殺そうとするような手段に関する不能を、「方法の不能」という。これに対して、布団の中に人がいると思ってピストルの弾を撃ち込んだが、人がいなかったような場合を、「客体の不能」という。

<不能犯と未遂犯の区別の基準>

 不能犯については、未遂犯との区別が重要である。
 法益侵害の結果発生の現実的危険性があるかにより区別する。

 危険性が「ある」行為→未遂犯
 危険性が「ない」行為→不能犯

 問題は、どのような場合にその危険性があると判断するのかである。

<判例の立場〜絶対的不能・相対的不能説>

 判例は、行為時に存在する全事情を基礎として、行為を事後的に観察して、その客体又は手段の性質からして、結果の発生が「絶対的に不能」の場合を不能犯とし、結果発生が「相対的に不能」であったにすぎない場合を未遂犯とする立場[絶対的不能・相対的不能説]を採用してきたと評価できる。

・「絶対的不能」とは、およそ客体が存在する可能性がない場合や、およそ方法が不能である場合をいう。

・「相対的不能」とは、たまたま結果が発生しなかったが、場合によっては結果が発生する可能性があった場合をいう。

≪未遂犯の成立が否定された事例≫

 他人を殺そうと硫黄をのませたケースについて、殺害の方法として硫黄をのませる「方法が殺害の目的を達成するにつき絶対不能だとして、殺人未遂の成立を否定した。

≪未遂犯の成立が肯定された事例≫

 殺害の意思で、被害者の静脈に空気を注射したが、空気の量が致死量に至らなかったケースについて、静脈内に注射された空気の量が致死量以下であっても、科学的に判断して死の結果が発生する危険が絶対に無いとはいえない、として殺人未遂罪が成立するとした。

※ 絶対的不能に当たるとして不可罰とされた例は少ない。
※ 学説からは、絶対的不能か相対的不能かという区別の仕方はあいまいであると批判されている。

<具体的危険説>

 学説では、主に具体的危険説と客観的危険説が対立する。

 具体的危険説とは、行為当時において「一般人が認識し得た事情」及び「行為者が特に認識していた事情」を基礎として、「一般人が結果発生の危険を感じる場合」を未遂犯、そうでない場合を不能犯とする見解である。
 この具体的危険説が、現在の通説といわれている。

※ 具体的危険説による結論

≪事例≫

 Xは、Yに毒を盛って殺害しようと企てた。「青酸カリ」というラベルの貼られた瓶の中の粉末を青酸カリと信じて、Yに飲ませた。しかし、その瓶には「青酸カリ」ではなく、誤って砂糖が入れられていた。行為当時、行為者だけでなく、一般人の目からも、中身は「青酸カリ」だとしか見えなかったという場合、「中身が砂糖だ」という事実は、行為者も知らず、一般人も知りえない事実であったので、判断の基礎事情に加えない。「『青酸カリ』というラベルの貼られた瓶の中の粉末を飲ませた」という事情を基礎として判断する。その事情を基礎として判断すると、一般人が結果発生の危険性を感ずるといえる。したがって、殺人罪の実行の着手が認められ、殺人未遂罪が成立する。

≪事例2≫

 通常、人に砂糖を与えても、殺人罪の実行の着手とはならない。しかし、被害者が糖尿病であることを知りながら行為者が砂糖を与えた場合であれば、殺人罪の実行の着手となりうる。行為者が特に認識していた「被害者の糖尿病」という事情を基礎とすれば、「砂糖を与える」という行為には、一般人が結果発生の危険性を感じると言えるからである。

 これに対して、客観的危険説という場合が対立する。
 客観的危険説とは、行為当時に存在していた全ての事情を基礎として、客観的に結果発生の危険のある場合を未遂犯、ない場合を不能犯とする見解である。判例のとる相対的不能・絶対的不能説も、この客観的危険説に属する。

≪具体的危険説≫

@危険性の判断資料 行為当時に一般人が知り得た事情及び行為者がとくに知り得た事情
A危険性判断の基準時 行為時
B危険性判断の基準 一般人が危険の感ずるか

≪客観的危険説≫

@危険性の判断資料 行為当時の存在した全事情
A危険性判断の基準時 行為時
B危険性判断の基準 裁判官が一般人の視点で科学的・合理的に判断


■ 電気配線を直結する方法によってエンジンを始動させ、他人の自動車を窃取しようとしたが、たまたまその自動車の電池がきれていたために、エンジンを始動させることができなかった場合、窃盗の未遂となる。

<解説>

 設問の自動車は、電池が切れてエンジンを始動させることができなかったのであるから、そもそもこの自動車を窃取することは不能であり、窃盗罪の未遂犯ではなく、不能犯として不可罰ではないかが問題となる。

 判例は、未遂犯と不能犯との区別について、いわゆる絶対的不能・相対的不能説をとっていると評価されている。すなわち、行為時に存在する全事情を基礎として、行為を事後的に観察して、その客体又は手段の性質からした、結果の発生が絶対的に不能の場合を不能犯とし、結果発生が相対的に不能であったにすぎない場合を未遂犯とする。

 設問では、窃取しようとした自動車は、たまたまその時電池が切れていただけであり、結果発生が相対的に不能であってにすぎない。したがって判例の趣旨によれば、設問においては、窃盗未遂罪が成立する。 

■ 殺人の目的で炊飯釜の中に青酸カリを入れた結果、炊いた米飯が黄色を呈し、臭気を放って人が食べるおそれが少ない場合でも、殺人未遂になる。

<解説>

 設問では、青酸カリを入れたことで炊いた米飯が黄色を呈し、臭気をはなってしることから、誰も食べるおそれはないとして、殺人未遂罪ではなく、不能犯として不可罰ではないかが問題となる。

 判例は、未遂罪と不能犯との区別について、いわゆる絶対的不能・相対的不能説を採っていると評価されている。すなわち、行為時に存在する全事情を基礎として、行為を事後的に観察して、その客体又は手段の性質からして、結果の発生が絶対的に不能の場合を不能犯とし、結果発生が相対的に不能であったにすぎない場合を未遂犯とする。

 設問においては、確かに炊いた米飯が黄色を呈し、臭気を放っていれば、食べることを避けることが多いと考えられる。しかし、変わった炊き込みご飯と認識して人が食べてしまうことも十分に考えられ、結果発生が絶対的に不能とまではいえない。したがって、設問においては殺人未遂罪が成立する。

つづく・・・
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2012年01月30日

独学院 中止犯から

参りましょう。

<中止犯>

 中止犯とは、犯罪の実行に着手したが、行為者が「自己の意思により犯罪を中止した」場合をいう。
 中止犯が成立すると、「必ず」刑が減軽又は免除される[刑の必要的減免事由」。
 障害未遂の場合には「刑を減軽することが「できる」[刑の任意的減軽事由]とされていることと比べて、極めて寛大な取扱いがなされている。

<中止犯の刑が必要的減免とされる理由>

 中止犯が成立すると、その刑が必要的軽減が認められるのはなぜか。
 その根拠を説明する考え方としては、≪政策説≫と≪法律説≫に大別することができる。

 ≪政策説≫とは、中止犯に刑の必要的減軽が認められるのは「刑事政策的理由」によると説明する見解である。中止犯を寛大に扱うことにより、犯罪の実行に着手した者に犯行を思いとどまらせようとする趣旨だと解するのである。

 ≪法律説≫とは、犯罪の成立要件との関係において、中止犯の法的性格を考慮する見解である。
 この説は、中止行為により行為の違法性が減少するとする違法性減少説と、中止行為により行為者の責任が減少するという責任減少説に分かれる。

≪違法減少説≫・・・故意は主観的法要素※である。故意が放棄されたことによって、違法性が減少する。

≪責任減少説≫・・・中止行為によって示された行為者の人格態度によって、責任が減少する。

※ 「主観的違法要素」とは、行為者の主観で、行為の違法性に影響を与える要素をいう。

<自己の意思により>

 中止犯の成立要件としては、「自己の意思により」「犯罪を中止した」ことが必要である。
 このうち、「自己の意思により」について、判例は、「外部的障害がないのに、行為者みずからの自由な意思で実行行為を取りやめるか、あるいは、結果発生を防止した場合をいう」と解している。

 「外部的障害」とは、経験上一般に犯罪の遂行を妨げる事情をいう。通常人であれば、そのような事情を知ることによって犯罪の実行を中止するであろうと認められるような事情である。

≪「自己の意思により」と認められない事例≫

・被害者に流血のほとばしるのを見て翻意し、犯罪を中止した場合
・犯行の発覚を恐れて、犯行を中止した場合
・強盗の目的で、甲方に侵入し、女性1人だけだと思って脅迫を加えたところ、隣室にその夫がいる事情を知って、その後の犯行を断念した場合、強盗の中止犯にならない。

 「自己の意思により」の意義について、学説は、主観説、客観説、限定主観説に分かれて対立する。

≪主観説≫

 外部的障害が行為者本人にとって犯行の妨げとなるような事情であるかを基準とする。フランクの公式という考え方も、この主観説に属する。
 行為者本人にとって犯行の妨げとなるような事情がある場合に中止したとしても、中止犯は成立しない。そのような事情が無いにもかかわらず、中止した場合には、中止犯が成立する。

※フランクの公式

 「たとえなしうるとしても、なしとげることを欲しない」場合に任意性があり、「たとえ欲したとしても、なしとげることができない」場合には、任意性はない。

≪客観説≫

 外部的障害が通常一般人にとって犯行の妨げになるような事情であるかを基準とする。
 通常一般人にとって犯行の妨げとなるような外部的障害がある場合に中止したとしても、中止犯は成立しない。そのような事情がないにもかかわらず、中止した場合には、中止犯が成立する。

≪限定主観説≫

 行為者本人にとって外部的障害がないにもかかわらず中止したというだけでは足りず、広義の後悔[悔悟、同情、憐憫など]にもとづいて中止したことを要するという考え方。主観説よりも、「自己の意思により」を「狭く限定」して考える。

※ 判例

 ≪客観説≫に立つものが多いとされるが、≪主観説≫に立つとみられるものもあるとされ、一貫していないと評価されている。

<学説の対応関係>

 中止犯の要件である「自己の意思により」について、行使者本人が犯罪の完成を妨げる認識を有していたか否かを基準とする見解は、中止犯の根拠について責任が減少すると解する立場と結びつきやすいが、違法性が減少すると解する立場からも、この見解をとることは可能である。

 中止犯の刑の必要的減免の根拠について、政策説、責任減少説、違法性減少説があった。どのような場合に「自己の意思により」と認められるかとういう問題の説明については、主観説、客観説、限定主観説が対立する。「行為者本人が犯罪の完成を妨げる認識を有していたか否かを基準とする見解」とは、主観説である。

 確かに、「責任減少→主観説」、「違法性減少説→客観説」のように結びつきやすいと言われている。しかし、「責任減少説→客観説」「違法性減少説→主観説」と結びつける考え方もある。

≪責任減少説→客観説≫

 通常、「違法性は一般人を基準として客観的に判断し、責任は行為者本人を基準として個別的に判断する」と解されているが、「責任も一般人を基準に判断する」という考え方もあり、この考えによれば、「責任減少説→客観説」という結びつきもありうる。

≪違法性減少説→主観説≫

 違法減少説は「自己の意思により」を「主観的違法要素」と捉え、行為者が犯罪の意思を放棄したことにより行為の違法性が減少すると捉える考え方である。
 違法減少説にも二通りの立場があって、行為無価値論をベースとするもの、結果無価値論をベースとするものがある。

≪A説≫

 結果無価値論ベース→未遂犯の故意、目的犯の目的など、一定の場合に限って、主観的違法要素を認める→「自己の意思により」について、客観説


≪B説≫

 行為無価値論ベース→主観的違法要素を広く認める→「自己の意思により」について、主観説
 ≪B説≫の立場からすると、「自己の意思により」について、行為者本人の認識を基準とする主観説を採っても矛盾はない。
 したがって、「違法減少説→主観説」という結びつきもありうる。


<中止行為>

 中止犯の成立要件としては、「自己の意思により」「犯罪を中止した」ことが必要である。
 「犯罪を中止した」とは、犯罪の完成を阻止することをいうが、具体的にどのような行為をすればよいかについては、「着手中止」と「実行中止」に分けて考えられている。

 「着手中止」とは、実行に着手したが、実行行為の途中で実行行為を思いとどまった場合をいう。単に、「それ以降の実行を取りやめること」によって、「中止した」と認められることが多い。

 「実行中止」とは、実行行為が終了したが、それにもとづく犯罪結果発生を防止した場合をいう。「中止した」と認められるためには、「結果発生を防止するための積極的な作為」が必要であることが多い。

★ 中止犯も未遂の一場合であるから、たとえ犯行を取りやめたとしても、自らの実行行為によって結果が発生してしまえば、もはや中止犯成立の余地はない。

<中止行為の真摯性>

 中止犯が成立するためには、行為者が結果発生阻止のために、真摯な努力をしたことを要する。判例も同様に解していると評価されている。
 結果発生についての防止行為は、必ずしも犯人自らが行わなければならないものではないが、少なくとも「犯人自身が防止行為を行ったのと同視できる程度の努力」をする必要がある。

≪中止行為の真摯性が認められ、中止犯が成立すう事例≫

 放火した者が、犯行を中止しようとバケツに水を汲んだが、病気により衰弱して独力で消化することができなかったので、大声で隣人を呼び、その助力を得て消化し、家屋を焼損するに至らなかった場合には、真摯な努力をしたものと評価され、中止犯が成立する。

≪中止行為の真摯性が認められず、中止犯が成立しない事例≫

 放火した後に恐怖の念にかられ、「放火したからよろしく頼む」と叫びながら逃げ去ったため、近所の者が消火活動をしたことにより家屋の焼損を免れた場合には、真摯な努力をしたものとは認められず、中止犯は成立しない。

<中止行為と結果発生との因果関係の要否>

 中止犯の成立要件として、中止行為と結果発生との間の因果関係が必要かについては、争いがある。中止行為と無関係な理由により結果が発生しなかった場合にも、中止犯が成立するかという問題である。必要説と不要説が対立する。

≪必要説≫

 中止行為と結果不発生との間に因果関係がある場合に限って中止犯が成立する。

≪不要説≫

 中止犯が成立するのは、中止行為と結果不発生との間に因果関係のある場合に限られない。

※ 必要説は、例えば、AがBを毒殺しようと考えBに一服もったが、その後、「自己の意思により」翻意し、Bを病院に連れて行き医師の治療を受けさせた。しかし、Aがもった毒はもともと致死量に足りないため、結果は発生しないと判明した場合[もともと不能の場合]に不都合が生ずると批判される。毒薬が致死量に達していた場合と比べて不均衡だというのである。


■中止犯が成立するためには、中止行為により犯罪の完成が妨げられたことが必要であるので、殺意をもって被害者に重傷を負わせた後、悔悟して被害者を病院に搬送し、一命を取り留めさせたが、たまたま落雷で病院が火事になり被害者が焼死した場合でも、中止犯は成立し得る。

<解説>

 設問の行為者は、殺意をもって被害者に重傷を負わせており、殺人罪の実行の着手が認められるが、その後、悔悟して被害者を病院に搬送して一命を取り留めさせている。本肢の事情の下では、主観説・客観説・限定主観説のいずれの見解に立っても、「自己の意思により」と認められる。また、被害者を病院に搬送し、一命を取り留めさせた行為は、真摯な中止行為と認められる。よって、中止犯が成立し得る。

※ 被害者が落雷による病院の火災で焼死しているについて

 殺人の実行行為と焼死との間には、落雷という自然的事実が介入しており、相当因果関係が認められない。したがって、行為者は、被害者の死の結果については、刑法上の責任を負わない。

■被害者に傷害を負わせる意図で暴行に及んだところ、被害者が転倒し、頭部から血を流して失神したのを見て、死亡させてはいけないと思い、病院に搬送して治療を受けさせたため、脳挫傷を負わせるにとどまり一命を取り留めさせた場合でも、傷害致死罪の中止犯は成立しない。

<解説>

≪中止行為にもかかわらず、結果が発生した場合→未遂犯は×≫

 中止犯も、あくまでも未遂の一形態であるから、結果が発生しなかったことが必要である。結果発生を阻止するために、真摯な努力をしたにもかかわらず、結果が発生してしまった場合には、中止犯は成立しない。この場合、結果発生を阻止するために真摯な努力をした点は、量刑に際して、行為者に有利な事情として考慮されることになろう。
 設問では、被害者に傷害を負わせる意図で暴行に及び、その結果として被害者が傷害を負っているから、傷害罪の既遂であり、中止犯は成立しない。
 なお、傷害致死罪は、結果的加重犯である。結果的加重犯とは、基本となる故意行為によって重い法益侵害の結果が生じた場合に、その重い結果を重視して刑が加重される犯罪類型をいう。傷害致死罪がその典型例である。
 結果的加重犯に未遂は考えられないので、未遂の一態様である中止犯は問題とならない。したがって、設問の場合において、「傷害致死罪の中止犯」は成立しない。

■中止犯の効果は、行為者が中止した犯罪と併合罪の関係にある別罪には及ばないし、科刑上一罪の関係にある別罪にも及ばないので、窃盗目的で他人の住居に侵入した後、窃盗を中止した場合でも、住居侵入罪については中止犯は成立しない。

<解説>

 中止未遂の効果は、中止した犯罪と併合罪の関係にある他の犯罪についてはもとより、観念的競合や牽連犯等の科刑上一罪の関係にある別罪にも及ばない。

●併合罪

 確定判決を得ていない数罪のこと。

●科刑上一罪

 1人に数罪が成立する場合であるものの、刑を科す上で「一罪」として取り扱われる。「その最も重い刑により処断する」とされる。「観念的競合」と「牽連犯」がある。

●観念的競合

 [一個の行為が二個以上の罪名に触れる」ときのこと。職務中の警察官を殴ってけがをさせる行為については、公務執行妨害罪と傷害罪のニ罪が成立し、両罪は観念的競合となる。

●牽連犯

 「犯罪の手段若しくは結果である行為が他の罪名に触れるとき」のこと。

 本肢の住居侵入窃盗が既遂になると、窃盗罪と住居侵入罪の二つの犯罪が成立し、両罪は牽連罪となる。
 中止犯の効果は窃盗罪にのみ及び、それと牽連犯の関係にある住居侵入罪には及ばないので、住居侵入罪については中止犯は成立しない。

<予備の中止>

 予備罪の成立後、目的とした犯罪の実行に着手することを任意に断念した場合、予備罪の中止を認めることができるかという問題がある。

≪予備の中止否定説≫

[理由]

 予備罪は、実行の着手前の問題であり、かつ予備行為があれば、予備罪は直ちに犯罪として成立する。

≪予備の中止肯定説[多数説]≫

[理由]

@ 実行の着手後の未遂につき刑の必要的減免という中止犯の恩恵があるなら、その前段階である予備にはなおさら同様の恩恵が与えられるべきである。
A 現行法上、強盗予備罪、通貨偽造等準備罪には、刑の免除規定が存在しないから、予備の中止を認めないと、刑の均衡を失うことになる。

≪判例≫

 判例は、予備罪には中止未遂の観念を容れる余地がないとして、予備の中止を「否定」している。

つづく・・・
 
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